Archive for the ‘体の健康’ Category

橋のような仕事。

2019.7.12

野菜を炊いた小鉢、よく漬かった漬物、出汁の効いた味噌汁。
こういう料理を出してくれるお店は、何を食べてもハズレがない。
お昼時にこのお店のある街にいれば、必ず食べに行ってる。
思えば、こういう料理を出してくれるお店って、おじちゃんとおばちゃんが切り盛りしている。
年齢的には、おじいちゃんとおばあちゃんだ。
みんな腰やら足やら痛めながら続けているけれど、こういう「ちょうどいい味」って、続けなきゃ出せないんだろうとつくづく思う。
若いうちは個性的でなければ売れないと思うもんだし、中年に近づくに従って本質であろうとこだわりが強くなるが、そのどれもが辿り着けないレベルがある。
個性が尖っているのでもなく、強いこだわりを追究するのでもなく、単純に腕がいいってことなんだと、常々思う。
水に浮かぶ足場を飛び移るように、転職を繰り返すのもいいだろうが、時間をかけて作り続けた橋はたくさんの人々が渡れるように、続けた仕事はたしかな技術となって、多くの人を安心させる。
愚直に続ける奴をサムい奴、ダサい奴とする風潮もあるが、続けたもん勝ちってこともあるんだよね。
 

雑感。

2019.6.28

美味しいアジフライを食べてみたい。
アジフライの美味しさはイメージできるのに、アジフライを売りにしているところって、味ではなく、大きさを売りにしてしまっている。
だから、アジフライを勧められて食べると「カキフライの方が好きなんだよなあ」と毎回思ってしまっている気がする。
タルタルじゃなくて、マヨにしちゃっているところも多いし、それなら唐揚げに走っちゃいますよ。
「鯵が食べたい」と思ったら、鯵のたたきやなめろうに走っちゃうのも、アジフライの本気の美味しさと出会っていないからなんじゃないかと思った。
刺身定食に鯵のたたきが加わると、めちゃ嬉しいもんね。
なめろうで冷汁みたいにするのも、めちゃ美味しいもんね。
小麦アレルギー発覚してから、家にパン粉ないし。
(フライ程度だったら食べれるんだけど)
うーん、美味しいアジフライを食べたい。

町を好きになるためには。

2019.6.20

知らない町を好きになるには、おいしいご飯屋さんを見つけられるかどうかが鍵な気がしている。
学生の頃にイベントに参加して以来、縁遠かった町、三軒茶屋。
バスで行ける距離に引越したこともあって、頻繁に行くかと思っていたら、当初はあまり馴染めなかった。
男物も売っているハンカチ屋さんに行くようになり、そろそろハマり出すかなと思っていても、ハンカチ屋さん以外はなかなか馴染めない。
けれど、おいしいカレー屋さんを見つけてからは、少しずつだが、贔屓にするお店と出会えるようになってきたのだった。
ハンカチ屋さんもカレー屋さんも三宿なので、純粋に三軒茶屋と言っていいのか迷うところだったが、落ち着く漫画喫茶さんや、ボリューム感たっぷりの中華料理屋さん、そして、最近ハマっているラーメン屋さんと次々にいいお店と出会うようになった。
中でも最後のラーメン屋さんは、三軒茶屋に行けば必ず行ってしまうほどになったお店だ。
化学調味料を使わず、グルテンフリーの玄米麺を選べるのにも関わらず、千円を切る企業努力全開のラーメン屋さん。
味は塩味(えんみ)の効いたキレのある醤油系。
こういう健康系飲食店だと、量も少なく味もボケているのに、大層な値段で、上から目線の接客になっているお店も少なくはないが、ここは大丈夫。
とても気持ちのいい接客と、清潔感のある店内で、落ち着いて食べることができる。
そうそう、書いていて気づいたことがある。
いま挙げた店舗はどこも、接客が丁寧で気持ちいいんだ。
別に神様のように接する訳じゃないけれど、嫌な気がしない接客というのがある。
「いらっしゃいませ」の挨拶をお客の方を見て言うとか、お客の雰囲気を察してから声を掛けてくれるとか、自分が人として大事にされている気持ちになるんだ。
提供する商品の品質と同時に、接客の品質も大事なんだよなあ。
本当に、毎回勉強になる。
業種は違うけれど、自分も見習わないと。

ただの寒天。

2019.6.19

朝食に甘味を食べるのが好きなもので、種類を変えながら長いこと続いています。
それで、引越しをしてから作っていたのが牛乳寒天です。
そこから杏仁豆腐。
そんで今はただの寒天。
水と粉寒天を煮立たせて冷やしただけの寒天と、精製していないきび砂糖に、水を加えて煮詰めただけのさらりとした黒蜜。
結局、これに行き着きました。
これにフジッコの黒豆をちょこっと加えて、毎朝おいしく食べています。
しかし、子どもの時はあまり好きでなかった寒天の甘味。
最近スーパーで買った葛切りを食べて、よく分かったことがあります。
酸味が不味い。
伊豆で食べて以来好物の葛切りも、不味いものは不味いんだ。
なんの成分がそうさせているのか、とにかく、スーパーで買う寒天系の甘味って、不思議な酸っぱさがあります。
これが苦手なのです。
(得意な人を非難しているわけじゃないですからね)
寒天と黒蜜も、自分で作っていたらもっと早くに好物になっていただろうか。
いや、タイミングなんだろうな。
好きになる時期と、作ったタイミングがピッタリあったのでしょう。
人間関係も食べ物もピタッとハマるって、タイミングなんですよねー。
棒寒天で作ってみたいけれど、どうせならいい棒寒天を使ってみたいです。

「しょうがない」と言う。

2019.6.1

今月の中頃から、朝の空えずきが止まっている。
やり始めたことと言えば、トリガーポイント専門の鍼灸院に通うことだ。
トリガーポイントとは、体の不調の引き金になる部分のことで、自分で触るとコリがあるのが分かる。
このコリに鍼を刺すと、めちゃ痛い。
ジャンプサインといって、鍼を刺された瞬間、反射的に体がビクンッと動く。
だから、痛がっていないフリをしても、エセ我慢なのは担当者にバレている。
再発するギックリ腰と腰痛のために行ってみたが、思わぬ効果があるのかもしれない。
こういう治療院やマッサージ屋は色々試しているが、初めて言われたことがある。
 
「しょうがない」
 
こういう場所に行くと、大抵、普段の姿勢や仕事の姿勢を気をつけたり、自助努力をすることを推奨される。
だから、「気をつけなきゃだめっすよ〜」と言われるのが、ほとんどだ。
「ストレッチ、やんなきゃだめっすよ〜」も同じ仲間だ。
しかし、この鍼灸院の僕を診てくれている担当者は、なぜかそれを言わない。
むしろ、僕の方が訝しんで「注意しなきゃいけないっすよね?」と尋ねるぐらい。
すると、「仕事に集中していたら、しょうがないですよ」と返事をされる。
こういう部分が「ぼくと合っているのだな」と気がついた。
 
僕自身も、依頼人に何かあったのを聞いたとき、「しょうがない」と思ったら、「しょうがない」と言うように努めている。
おそらく、ぼくの依頼人なら「まぁ、しょうがないっすね」という言葉は一度ならず、何度か聞いたことがあるのではないだろうか。
契約がうまくいかなかった、リリースが遅れた、などの報告をされるとき、必ずこの言葉を言っているはずだ。
こういうときに気をつけているのは、ここでぼくが正論を言っても、相手を追い詰めるだけだ。
何かあったということは、相手はすでに傷ついている。
立ち直る前に、追い詰める必要はないと思っている。
とかく、自分がその分野に長けていると、相手を追い詰めがちになる。
まずは「そういうもん」として現状を受け止めてから、次の一手を少しずつ紐解いていけばいい。
うまいもんを食べて、風呂にゆっくり浸かって、ぐっすり眠ってから、考えればいいことはかなり多い。
 
「どっちでもいい」と「しょうがない」は、かなり言っている。