Archive for 2018.7

推敲とは。

2018.7.16

ぼくらの仕事というのは、推敲が大事になります。
パッとやってみたことが「あり」か「なし」か。
手の掛け方は合っているか。
 
こういうのは議論を重ねれば解決できるものではありません。
だから、他人に見せるよりも、自分の中で「いいもの」になっているかどうかを見極めることになります。
経験を重ねると、この精度は高くなりますが、やっぱりね、完璧なものなんてないんです。
推敲をしていると、目の前にあるものに、目と頭が慣れてしまいますしね。
すると、判断が鈍る。
 
そんな中で他人の意見を聞いたら、「あり」か「なし」かの判断ができないまま、良さそうな意見に流されてしまいます。
見た目はいいのに実は性悪、そんな案に引っかかるわけです。
 
推敲は、こうやって近づいてくる詐欺師案に騙されずに、案件の精度を高めていくのです。
だからいくつもの案件を同時に進めるのは、頭を切り替えるためにもいいのですが、それでも鈍るときがあります。
もうね、そんなときは、外にでるしかないっすよー。
 
この流れで墓参りに行った話をしようと思ったのに、思いの外、真面目な仕事論になっちゃいましたねー。
墓参りの話は、またの機会に。

『ヴェニスの商人の資本論』で気づいた。

2018.7.15

昨夜、寝ながら発見したことがありました。
「もしかしたら、俺はキリスト教的な人間かもしれない」と。
資本主義の利益というのは「差分」によって生まれます。

たとえば、『ヴェニスの商人』で言えば、高利貸しのシャイロックは、「貸したお金」と「将来返済されるお金」の価値の差分を利子として利益にしています。
主人公のアントーニオは、兄弟のような友人のバッサーニオへのお金の貸し借りに利子はつけていません。
つまり、アントーニオは金貸しではないんです。
 
1ポンドの肉を取られようとしていても、そこでバッサーニオに対して利益を貰おうとはしていません。
恨み辛みも言わない。
 
そんなアントーニオも、世界中に船をだして、貿易をして利益を出しています。
つまり、あっちの場所とこっちの場所の、物の価値の差分を利益にしています。
商業資本主義です。
 
ちゃんと利益を出しているアントーニオは、シャイロックのことを敵として蔑んでいます。
シャイロックが高利貸しだから?
違います。
 
アントーニオがキリスト教的であり、シャイロックがユダヤ教的だからです。
先日、キリスト教の教えに、「兄弟間で利息をとってはならない」とあり、「他国の人から利息をとってもよい」という、「兄弟盟約」というものがあることを知りました。
ここで、「あっ!」と納得。
 
キリスト教であるアントーニオに、バッサーニオから利益を得ようという考えがそもそもなく、異教徒である世界中の人たちから利益を得ることは教えとして許されているんだ。
そして、異教徒であるシャイロックのことを、敵として認識することで、シャイロックの利益となる契約を結べるんです。
バッサーニオのために保証人になっても、アントーニオには利益が生まれないのに。
あるのは、バッサーニオの縁談が上手くいったときに芽生える「兄弟、よかったな〜」という感情。
 
すっごい長いですが、いままでのが前振りです。
本題はここから。
 
実は、ぼくはビジネスの中でヒトを紹介しても、「紹介料」ってもらっていないのです。
業者から見積もりを出してもらっても、特に上乗せして依頼人に請求していないですし。
つまり、「誰かをつなげる前」と「つなげた後」の価値の差分を、利益にしていないのです。
 
もっと言えば、依頼人の事業のことを、四六時中考えています。
ま、それはちょっと言い過ぎですが、少なくとも、「コンサル料」や「ディレクション料」や「企画料」と頂戴している金額からすると、とても少ない料金です。
時給計算したら、完全に東京都の最低時給は下回るでしょう。
時給1円かもしれない。
ま、それも言い過ぎですが、これで全然利益になっていないんですよねー。
 
なんでそうまでして仕事ができるんだろうと考えると、よく言っていることにぶつかります。
 
「依頼人を家族と思え」
「家族と思えないのなら引き受けるな」
 
これね、会社勤めしていた頃から、周囲の仲間たちに言っていたことです。
ぼくらの仕事は、儲けようと思えば、いくらでも自分の土俵に持ち込んで儲けることができるんです。
でもね、それをしたところで、依頼人のためにはならない。
 
だから、本当に依頼人のためになることを考えたら、これは依頼人を家族と思えなきゃ、やってらんないんですよ。
依頼人にとって、耳の痛い説教もしなきゃいけないし。
説教ってね、言うのはめちゃくちゃ面倒臭いんですよ。
説教じゃなくても、何かを話すのって、めちゃくちゃ面倒臭いんですよ。
もうね、単純に利益のためにやってたら、違う仕事やります。
 
そんなことを考えていて、先日知ったキリスト教の教えと、『ヴェニスの商人』の関係性を知って、「あっ!」って結びついたのです。
それが冒頭の、「俺はキリスト教的な人間かもしれない」。
こんな仕事をよく続けてこれたと思いますし、敵と思った人間への協力はいっさいしないですしね。
「縁故契約はするな」というのはビジネスの常識ですが、「縁故=家族、兄弟」、「契約=利益追求」なので、「するしない」に関わらず、そもそも成立しないんです。
ま、世界中の宗教は同じことを言っていると思いますが、「キリスト教的」と感じたのは、自分でも驚きましたねー。
 

モノを作りたい。

2018.7.14

モノを作りたくなっています。
物体としてのモノね。
概念を作ることに飽きはじめています。
ロゴを作っただけじゃ概念なんですよ。
ロゴが何かに印刷されて、はじめてモノになってるわけです。
 
Tシャツとか手ぬぐいとか。
どちらも大好きなんだよなー。
よく作ってたもんなー。
手ぬぐいで聞かれる「短くなっちゃったんだよー」って、俺の案件で言われねーもん。
たった5〜10cm長くするだけで、使い始めと使い古しの使い勝手は変わらんちゅーの。
 
こういうのって、モノの感覚がないとできないんだよね。
この前も色校を一発で決めちゃったもんねー。
ま、そんな自慢は置いといて、モノを作りたいなー。
 
あ、思い出した。
革靴のオーダメイドをしようと思っていたんだ。
いまはほとんどオーダーメイドやカスタムしてもらっている。
 
お酒のラベルも作りたいし、酒づくりからやりたいなー。
ちゃんと商品になるものを。
やっぱ最後は、食い物を作りたいんだろうねー。
 
この前、友人たちと、「美味いもんっていいよね」と話したばかりです。
体が栄養を吸収している感じがするし、心も満たされるんですよ。
不味いものや無機質なものってね、体に取り入れれば取り入れるほど、体から何かを奪われる感じがするのです。
 
自分だけかと思っていたら、ぼくの周りではこの話が通じるんですよ。
モノはモノでも、美味しいモノを作りたいんだ。
食べ物じゃなくても、目で美味しかったり、手触りが美味しいものとか。
美味しい、美しい、気持ちいいモノをね。

専門家と関わるときのぼく。

2018.7.13

ぼくは専門家と関わるとき、「なるほど」「どちらがいいと思いますか?」「任せます」の三つをよく言います。
専門家と関わるということは、ぼくは素人。
素人が専門家と関わるときには、知識も技術も大きな隔たりがあります。
もしも雑談ではなくて、相談であれば、素人であるぼくには、解決してほしい問題を抱えています。
この問題の解決方法は、目の前にいる専門家の方が詳しいはずです。
 
たとえば、今日(投稿では昨日)、ぼくは内科に行った後に、歯医者の定期検診に行きました。
内科では、以前かかった病院が休みだったので、初めての場所に行きました。
そして、自分の状態は「のどが痛い」。
この、のどの痛みを取ってくれることを依頼しに、病院に行っているわけです。
 
専門家である医者いわく、のどの痛みには風邪の場合と、そうじゃない場合がある。
風邪であればウィルスだから、抗生物質は意味がない。
でも、風邪でなければ意味があるし、ぼくの子供の頃の持病も考慮して、念のため抗生物質を処方してくれました。
のどの痛みひとつをとっても、風邪か風邪じゃないか、のどの痛み以外の症状の有無、持病のことなどを考慮して、処置を決めているのです。
素人のぼくが、あーだこーだ言うところってないですよね。
 
今日のお医者さんは面白いヒトで、抗生物質を処方するかしないかの一瞬の思考回路を、患者であるぼくに説明してくれるのです。
しかも、「ちょっと迷っている」と言いながら思考を話し始めて、持病に菌が入るとまずいから、という理由で念のため処方する結論に至るところまで話してくれました。
 
その間、ぼくは「なるほど」「どちらがいいと思いますか?」「わかりました、任せます」と合いの手を入れながら聞いていました。
おかげで様で、夜になった今では、のどの痛みは軽減されています。
もちろん、その後の歯医者でも同じ言葉を言っています。

戦争とミスマッチな食べ物。

2018.7.12

ぼくらの畑で採れた枝豆を、恋人と食べていて気づきました。
 
「枝豆と戦争は似合わない」
 
塩茹でした枝豆を指でつかんで、口元で上手いこと莢(さや)から豆を出して食べる。
この繰り返し。
この一連の動作を繰り返しながら、相手とする話題に、争い事は似合わないなと。
なんだろう、ちょっと油断している感じでしょうか。
 
ナイフとフォークの食卓では、牽制し合う話題はできそうです。
(映画で出てきますよね)
懐石料理でも、よからなぬことの話題はありそうですね。
(テレビドラマで出てくるやつです)
居酒屋の喧嘩でも、枝豆食べながらっていうのは、似合わないんじゃないかな。
性根の腐ったヒトが、食べ終わった莢を、ヒトに投げることはあるかもしれません。
 
ま、そういうヒトは置いといて、他に枝豆のような食べ物を探してみましたが、なかなか思いつかないんですよね〜。
蟹は黙っちゃうし。
焼き芋が近いかもしれませんが、戦時中の話を聞くと、芋ばかり食べていたらしいので、ヒトによってはその頃を思い出す食べ物かもしれません。
 
やっぱり、枝豆のような、平和な食べ物って他にあるのかな。
あ、プリンも似合わないな〜。
プリンという響きが、戦争とミスマッチ。
こういういことを考えていると、戦争とミスマッチな食べ物を集めてみたくなります。