Archive for 2018

泥臭く、情けなくも、変わり続ける。

2018.6.14

立派なことは言えない、と思いながら、いつも話しています。 
世の中に溢れている言葉は、「こうしたら上手くいった」「こうした方がいい」「こうしないと上手くいかない」というものばかり。
でも、場所と人とタイミングによって、それらの通り、コトが運ぶなんてことはないんです。
あくまでも、すべてのモノゴトは、経験則から対応するしかない。
 
どんなに立派なことを言ってたり、業績を上げていても、死んじゃったら、別の人が代わりに立つだけです。
それは会社だって同じ。
会社の商品が、世界1位のシェアを誇っても、会社が倒産したら別の商品を使うだけです。
 
だから、ぼくらは変わり続けなきゃ、生き残っていけないし、今日変わった分だけ、昨日言った「上手くいく話」も変わってるはずです。
結局、泥臭く、情けない姿をさらすことになっても、変わっていくしかないんじゃないかな。
これは、ぼく自身にも、言えることです。
 
変わり続けることが、唯一の変わらない本質なんだと思います。
前川清さんの歌を聴いて、「情けない姿」を「そうだよね」と言える自分がいることに、気がつきました。
これからの時代に、必要な歌なんじゃないだろうかと思っています。

説明が奪うもの。

2018.6.13

年上の方々が、「広告がつまらなくなった」と話しています。
一方で、「デザインは経営に必要だ」とも言われています。
このときのデザインは、クリエイティブも同じ意味です。
両方の人の話を聞く現場にいたことがあって、両方とも同じことを言っていると、気づいたときがありました。
 
経営に必要だと言われているデザイン(クリエイティブ)というのは、言葉によって整理できる能力です。
「なぜこのデザインなのか」「なぜこのコピーなのか」「思考整理の再現性」「スキルの再現性」「ユーザーの求めていること」などなど。
つまり、説明できるデザインを必要としています。
 
これに拍車をかけるのが、マーケティング数値を合わせたデザインの説明です。
(数字を美しく扱えるマーケターって少ないのです。絶賛、募集中でっす!)
すると、広告も説明的になります。
説明しながら作るから。
説明しないと社内の予算がおりないから。
そうやって、人(素人)の意見を聞きながら、数値化して、広告を作ります。
(論文のように、ちゃんと数字と友達になれるマーケター、本当に会いたいです!)
 
こんな作り方じゃあ、つまらないですよね。
何のために、長年、デザインの力をつけてきたのか、分からなくなりますよね。
自分で考える力も、必要ないですし。
年長者たちが、こぞって「つまらなくなった」と言う理由がわかります。
 
広告を見る生活者たちも、説明された一枚を読むだけだから、「おもしろい」「つまらない」を判断せずに、単に理解するだけです。
こうやって育った生活者たちと、サラリーマンや経営者と、デザイナーを志す若者たち。
説明で溢れた世の中で育った人たちは、何をおもしろいと思うのか。
 
ちゃぶ台を返すようですが、ぼくは、よく分からないけど、おもろいヒトやモノが、やっぱり好きです。
遭遇する度に発見があったり、自発的に考えさせられたり、期待を裏切られたり、飛躍したり。
老若男女、色々な職種の人たちと話をするおもしろさって、ここにあります。
 
話をしても、伝わらないおもしろさ。
言葉にできない、おもしろさ。
言葉にできない、もどかしさ。
 
こういうモノゴトを、言葉にしてはいけない。
伝えた気になって、こころに、しこりが残るから。
もしも、デザイン(クリエイティブ)の力を借りたいのなら、言葉にできないものの存在を、信じてもいい。
 
こういうことを最近考えていたら、前川清さんのコンサートを聴くタイミングが、先日、ちゃんと訪れたのでした。
歌謡曲のよさと、クリエイティブのおもしろさって、近いところにあるのかもしれませんねー。

はじめての前川清さんのコンサート(翌日)。

2018.6.12

「初恋 Love in fall」と「それは、ラララ」を、iTunesで購入して聴きながら、先日の前川清さんのコンサートの余韻に浸っています。
「よかったな〜」という余韻から、「なんでよかったんだろう」も徐々に感じ始めています。
前川さんの良さは、みなさんが口を揃えて言っているので、「もう、その通り!」ということでいいと思います。
「じゃあ、なによ?」ってなるでしょうが、「歌謡曲の良さ」について、感じ、考えはじめています。
 
結論から話すと、「説明しない部分の多さ」と「想像できる年齢に達した」ということではないでしょうか。
 
前川さんの曲を知らないぼくでも知っていた『東京砂漠』。
やさしさも、何もない都市(まち)、東京。
でも、私は好きよ。
だって、あなたがいるから。
、、、って、これだけなのに、ジーンとするんです。
これだけを歌うからこそ、「俺のこと」として想像できるんですね。
『ひまわり』もそうでしょう。
いま、イヤホンを通して、目を閉じて聴いていると、ジーンとするんです。
(仕事の休憩で聴いたら、本当に泣いてしまった)
 
これが、心情でも場面でも詳細に書かれていたら、「俺は違うよ」となるでしょう。
今回、初めて知ったのですが、歌謡曲って、浮気や失恋や繋ぎ止めたい気持ちなどの、人間の「情けないとされるもの」を歌っているんですね。
これを少ない描写で、約束された曲調で、素敵な歌手が歌ってくれる。
ここで必要なのは、「人間だしね、色々あるよね」というお互いの度量。
 
子どもの頃の紅白歌合戦で歌われる歌謡曲が、なんにも分からなかったのは、当たり前だったんです。
だって、子どもは、度量が大きくなるほどの、ずるかったり、汚かったり、情けない経験をしてないですから。
いま、前川清さんの歌謡曲を聴く経験ができて、本当によかったです。
 
この時代、この日本に、ちょうどいい年齢で仕事をしている世代として、前川さんの歌を聴けて、よかった。
簡潔に説明することを良しとする現代社会に、ぼくも生きています。
でも、違和感を持っていました。
すべてのモノゴトは感動できるのなら、簡潔に説明しない良さを、「歌謡曲の世界だから」と閉ざすのではなく、仕事のいたるところで活かせるんじゃないかと、いま、思っています。

はじめての前川清さんのコンサート。

2018.6.11

前川清さんのコンサートをはじめて聴きました。
コンサートの前後に、ほぼ日の糸井さんと、いきものががりの水野さんのお話がありつつ、700人のお客さんのひとりになってきました。
感想は、「もうね、サイコー」につきます。
歌はうまいし、話もうまいし、気取らないし、そして、やさしい。
もうね、サイコーでしょ?
 
やさしい、って、前川さんと話したことがないから分からないけれど、会場の空気が、やさしいんです。
歌い手である前川さんを中心として、会場のスタッフの人、バンドの人、前川さんのことを話す糸井さんと水野さん、そして、お客さん。
全員が作り出す空気が、やさしいんです。
色んな人がいるはずです。
わくわくしている人、ドキドキしている人、雨が嫌な人、体が痛い人、心配している人。
知らない人同士が集まっているはずです。
そうやって、たくさんの知らない色々な気持ちの人たちが集まっているのに、中心となる歌い手のフィルターを通して作られる会場の空気が、やさしい。
もうね、話したことないのに、やさしいって思っちゃうでしょ。
 
それに、正直な、誠実な人だな〜と思いました。
「拍手は信じない。笑いは嘘をつかない」っていうようなことを、話していたのです。
歌手だから、本業は歌です。
歌がうまくないと、いろいろと脱線した末に、笑いに走ることもできるけれど、前川さんは、ぼくなんかでも「うまい!」って言っちゃうほど、歌がうまいんです。
そんな人が、笑いを信じてる。
「生粋のエンターテイナー」だと、ぼくは好きになっちゃいました。
もうね、おわかりのように、ぼくは、前川清さんのファンになっちゃいました。
 
ちなみに、パンフレットの表紙をめくって一枚目の前川さんの写真。
この場所は「ななつ星」というJR九州さんの寝台列車です。
この内装の突き板を手がけているのは、北三(ほくさん)さん。
北三さんのブランディングを、ぼくらが手がけさせていただいたのが、もう2年以上前になります。
「世界は知らない人同士でできている」
前川さんと糸井さんの直筆サイン、前川さんとななつ星の写真、ななつ星と北三、北三とぼく。前川さんとお客さん。
今日のお客さん全員に、この直筆サインパンフレットは配られているんですって。
もうね、このページを見たとき、ひとりで目頭が熱くなりました。
 

よく分からないけれど誘ってみたい人。

2018.6.10

昨日、自分のことを「普通の人」と書いた。
はじめは「そんな人」と書いていたのを、わざわざ書き直したのです。
 
そこで、「強い」って何だろうと改めて考えてみました。
格闘技などをしていたら、勝つことが強さの証になるでしょう。
範馬勇次郎のようなね。
 
けれども実際の日常では、「頼れる」ことが「強さ」にもなります。
この場合の強さの中身は、色々あります。
技術が頼れる、資金を頼れる、悩みを解消するのに頼れるとか。
些細なところではお使いを頼める、留守番を頼める、とか。
 
今の時代、クリエイティブな仕事をする人に求められることが、スキルだったり、企画力だったりします。
しかも、説明可能なものを求められるから、結局、企画力といってもスキルです。
手前味噌ながら、僕もこの辺りの部分の能力は高いと思いますが、これはこれで、愚直に数をこなしてるだけでも身につくものです。
僕も狭い意味のスキルを軽々しくみていないつもりですが、これだけではけっして誇れるものでもありません。
 
たとえば、何か事を起こそうとしたら、それぞれの得意分野が集まるでしょう。 
でもね、これってつまらないんですよ。
スキルで集められてるから。
だから同じスキルをもって、より効率よく、安い値段で動いてくれる人がいたら、そっちを採用しちゃう関係です。
 
これと逆の関係で、かつ、頼られる強さの極みって、「なんかよく分からないけれど誘ってみたい」、ということです。
事を起こすのに、もう必要な役割はないけれど、あいつを誘ったら面白いだろーなー、と思ってもらったり。
こう思う前に、「とりあえず誘いたい!」、っていうのが最強ですよね。
でも、実は子どもの頃の、「友達を遊びに誘う」感覚と一緒なんですよね。
こんな人になれたらいいなー、と思いつつ、誘われることも増えてきているのは、ちょっとずつ近づいているのかもしれませんね。