Archive for 2018

2018.7.9

今年買ったモノは、当たりが多い気がしています。
当たりのひとつが「バリカン」。
パナソニック製のバリカンで、付属品を付け替えることによって、いろいろな髪型がつくれます。
自宅で髪を切る「セルフカット」ってやつですね。
 
ぼくは大学卒業以来、自分で髪を切っています。
もっと言えば、高校時代も自分で髪を切っていました。
あの頃は、へたっぴでしたねー。
ボサボサです。
すきバサミとカット用のハサミの、二本だけを使っていました。
その頃のハサミを、今でも使っているんですけどね。
 
襟足を切るときは、洗面台の鏡に背を向いて、手鏡を持って、合わせ鏡にします。
そこにハサミを入れていくのだから、もうね、大変です。
思い切りの気持ちは絶対条件。
切る上手さは、後からついてきます。
(下手なんだけど)
 
切り落とされる髪を、体につけたくないから、洗面台の方に体を仰け反って。
腹筋はプルプル震えてきます。
プルプル震えながら、ハサミを入れていくのです。
もうね、大変ですよ。
こんなことを、浪人時代と大学時代を除いた15年ほど続けていたわけです。
 
なに!?
15年だと!
15周年じゃないか!
セルフカット歴15年イヤー。
書いている今、気づきました。
 
そんな祝いの年ともつゆしらず、偶然見つけた「バリカン」。
坊主にしてた頃に、友人から借りパク(借りたまま返さない)したバリカンしか知らないぼくは、「バリカン=坊主」の知識しかないですわ。
それがね、15年後のバリカンは、未来のバリカンですよ。
もうね、いままでの15年が、びっくりです。
 
ブイ〜ンという音とともに適当に刈っていくと、あら、素敵なショートヘアの完成。
『3分クッキング』もびっくりでしょう。
(3分じゃ散髪できないけど)
バリカンに付属品を付け替えながら、刈っていくのですが、付属品やバリカンを収納する箱が、仰々しくないのもいい。
パッとできるから、いいんですよ。
しかも、ホコリをつけたくないから、使わないときは収納しておきたい。
丁度いいですね。
 
今までの経験が活かされるのは、仕上げのハサミと、合わせ鏡ぐらい。
そう、ハサミは高校の頃から使っている。
腹筋プルプルもしなくなりました。
(腹筋がついたのではない。仰け反らなくなっただけだ)
 
15年の間の、パナソニックさんの企業努力で、ぼくはいま、ラクちん生活です。
(プロダクトもガイドも、デザインはもっと良くなるけどね)
 

一ヶ月、休まず書けた。

2018.7.8

ふふふ、一か月更新休みませんでしたよ。
その間、良くも悪くも、いろいろありました。
 
おかげで、ブログタイトルを、褒められることも出てきました。
野暮なことをバラすと、ブログ全体のことを表しつつ、七五調という技術もね、使っているんですよ。
いまはもう、こんな事を話すコピーライターとも出会わなくなってきましたね。
 
寂しいとかじゃなく、そういう時代なんですよね。
「一人遊びは退屈しのぎ」ということでしょうか。
ちなみに上のは、七七調。
(くどいって)
 
ぼくは行ったことがないけれど、俳句のように、即興で読み合う遊びもあるみたいですね。
写真を撮るのも、ひとつの遊びだったような気がします。
特に、スマートフォンで写真を撮れるようになってからは。
Instagramなんて、まさにそうでしょう。
 
ぼくらはプロ用の画像加工ツールがあるから、昔、友人の写真家と、ひとつの写真データを加工しながら、往復書簡のように、メールで飛ばしあいをしていました。
あぁいうのも、テクニックが必要な遊びでしたね。
 
最近、そういう遊びをしていないなー。
プロとプロが出会って、下心を持たずに遊ばないと、できない遊びなんですよね。
その後に、ひとりに戻って、いいものが作れたりするんです。
 
「遊び相手と一人の時間」という締め方で、今日の話はおしまいです。

自分をネタにする。

2018.7.7

「あぁ、しまった」と思いました。
今日(投稿では昨日)のブログで、『図書館という不思議じま』と書いたけれど、おならの話なんだから『図書館という不思議こく』の方が洒落がきいてるし、「不思議な国」じゃないか。
実は投稿が反映される前に気づいたのですが、修正はしませんでした。
その代わり、今日の投稿で、自分の落ち度をネタにします。
 
昨日の話も、最終的には仕事のやり方の話だったのですが、こういう話を「こうしたらうまくいきまっせ」のビジネス書のように書きたくないから、ふざけていると思われようが、ああいう風に書いているわけです。
それは「こういうのはマズイよ」と、脅しをかけるような話の仕方もしないのと、まぁ、同じことですわ。
文体がごちゃまぜになっているのも、同じこと。
 
ヒトの頭の中って、ほんとうはもっと、ごちゃまぜになっているでしょう。
これを、図にしたり、言葉にしながら、整理していっているのです。
でも、整理しすぎたものが続きすぎると、どこかでつまらなく感じてしまうでしょう。
 
ちょっとごちゃまぜな鍋を食べた日もあるでしょう。
そんな風にして、ぼくは言葉を書いているのです。
キャッチコピーを見せるときとは、やり方が違いますよねー。

図書館という不思議じま。

2018.7.6

図書館というのは不思議な島だと、つくづく感じます。
外界の音は聞こえず、中は静か。
この中にある本棚と本棚の間を、おっちゃんが屁をこきながら、歩いていたり。
周囲を気にするそぶりもなく、一定のペースで歩きながら、屁をプッ、プッ、プッ。
通路を渡って、おまけで、プッ。
 
屁が鳴っている間、周りのヒトたちは、自分のことに集中。
屁をこいていないおっちゃんも、子どもを連れているお母さんも、スカして雑誌を読んでいる青年も、みんな自分のことに集中している。
「他のヤツの屁ごときで、俺の心は乱されないぜ」という一糸乱れぬ姿にすら見える。
自分の内なる世界と対峙する、武士のような集中力だ。
(武士知らないけど)
 
いや、内心は乱れまくっているが、周囲に悟られないように、取り繕っているのかもしれない。
そうだとしたら、なんというポーカーフェイスか。
何にも役は揃っていないのに、勝負に挑むギャンブラーじゃないか。
 
一発目の屁から、視線をおっちゃんに向けてしまった俺は、なんという小心者か。
集中力が足りなすぎる。
座禅の時間だったら、すぐに棒で叩かれていただろう。
 
いやはや、図書館島の住人たちよ、屁をこく方も、こかれる方も、大したもんだよ。
こういう世界を見ていると、会議や打合せで話される内容が、ずいぶん偏った世界だと痛感します。
悪く言うと、学術論文に到底及ばない、自分都合の陳腐なデータを集めた机上の空論。
だから、仕事のことを考えるとき、ぼくは図書館で論文や本を読んだり、外の世界を見るんです。
図書館以外にも色々とね。

専門家への依頼。

2018.7.5

ぼく自身も依頼者になることが多い中、専門家に依頼する場合、次のどちらかしかないような気がしています。
 
専門家の意見に「従う」か「従わない」か。
 
専門家に意見をして、議論をするのは「従わない」ということ。
専門家に質問をするのはどちらでもない。
下手な質問は、意見となるので「従わない」ことを暗に示す。
上手い質問は、専門家に信任の実感を抱かせる。
 
医者と患者の関係性でみれば、よくわかります。
医者の処方通りに薬を服用するか、用法・用量を守らずに服用するのか。
用法・用量を守らない患者に何かがあっても、医者は免責されるでしょう。
 
デザインなんて仕事をしていると、議論に持込もうとする依頼人がたびたび現れます。
専門家との打合せは、診察時間だと思った方がいいです。
課題という病気がなければ、専門家という医師と、会う必要もないでしょう。
 
課題になっていることを素直に話し、目の前にいる専門家を信じて任せるのか、それとも、信じないのか。
信じないのなら、別の専門家にかかった方がいいでしょう。
セカンドオピニオンを求めた時点で、最初の医師との関係性は破綻しています。
 
もしも、信じた相手が、技術も知識も低く、職業倫理さえ低いのなら、あなたの審美眼を鍛えていくしかないです。
どこかのタレントのようですが、専門家の処方を信じるか、信じないかは、あなた次第なんです。