Archive for 2016
距離感。
2016.2.7
さっきまで友人と呑んでいて、そこは神楽坂にある昔ながらの家を飲み屋として使っているような佇まいのお店でした。
何が面白いかというと、六畳間を二部屋つなげたような座敷に、お膳を向かい合って座るスタイルで、やはりというか、時々、背中合わせにしている違うお客さんと背中がコツンと触れる距離感だ。部屋には適度な余白(スペース)があるので狭いという印象はなく、別々の場所で話が盛り上がり、お互いに背中をのけ反った際に触れ合う程度の感覚であり、それは微笑ましい感覚だった。
以前どこかで読んだ記憶があるのだが、満員電車で感じるストレスは戦争を体験しているのと同程度のものであるらしい。たしかに、僕自身も満員電車の距離感は苦手である。そんなことを話しながら、あのお店の距離感を今思い出してみると、うん、ちょうど良い距離感だったと思える。他人同士が心地いいと感じることのできる距離感、そんなスペースを作るのもアリだと思った。
さっきまで友人と呑んでいて、そこは神楽坂にある昔ながらの家を飲み屋として使っているような佇まいのお店でした。
何が面白いかというと、六畳間を二部屋つなげたような座敷に、お膳を向かい合って座るスタイルで、やはりというか、時々、背中合わせにしている違うお客さんと背中がコツンと触れる距離感だ。部屋には適度な余白(スペース)があるので狭いという印象はなく、別々の場所で話が盛り上がり、お互いに背中をのけ反った際に触れ合う程度の感覚であり、それは微笑ましい感覚だった。
以前どこかで読んだ記憶があるのだが、満員電車で感じるストレスは戦争を体験しているのと同程度のものであるらしい。たしかに、僕自身も満員電車の距離感は苦手である。そんなことを話しながら、あのお店の距離感を今思い出してみると、うん、ちょうど良い距離感だったと思える。他人同士が心地いいと感じることのできる距離感、そんなスペースを作るのもアリだと思った。
2度目のサイトリニューアル。
2016.1.30
2度目のホームページリニューアルをしました。自分のホームページを持ったのが2007年で、2012年に一度目のリニューアルをしたから、4〜5年のペースでリニューアルをしていることになる。
考えるに、ホームページの寿命はそのぐらいだろう。そして、リニューアルの要因には、人々の生活の変化が大きく関わっている。
パソコンがなかった時代にはそもそもホームページは必要なかったし、パソコンからスマートフォン、タブレットの登場で、人々の生活や流行は変化していった。ITが普及する前に、臨床試験がある。それを数年繰り返し、ある程度のところで製品化し、人々がその利便性に気づくと広まり、広まることで新たな不具合をアップデートして恒常化される。
すると、恒常化される前に当たり前だった生活は一変し、「足りない」や「適さない」ということになる。
そのサイクルが4〜5年でもあるのだろう。5年前のスマートフォンの普及率を考えたら、まぁそうだろうな。そして、次は、シックスセンス系の機器が生活の当たり前になっていくんだろうなぁ。どこかで試せないかなぁ。
2度目のホームページリニューアルをしました。自分のホームページを持ったのが2007年で、2012年に一度目のリニューアルをしたから、4〜5年のペースでリニューアルをしていることになる。
考えるに、ホームページの寿命はそのぐらいだろう。そして、リニューアルの要因には、人々の生活の変化が大きく関わっている。
パソコンがなかった時代にはそもそもホームページは必要なかったし、パソコンからスマートフォン、タブレットの登場で、人々の生活や流行は変化していった。ITが普及する前に、臨床試験がある。それを数年繰り返し、ある程度のところで製品化し、人々がその利便性に気づくと広まり、広まることで新たな不具合をアップデートして恒常化される。
すると、恒常化される前に当たり前だった生活は一変し、「足りない」や「適さない」ということになる。
そのサイクルが4〜5年でもあるのだろう。5年前のスマートフォンの普及率を考えたら、まぁそうだろうな。そして、次は、シックスセンス系の機器が生活の当たり前になっていくんだろうなぁ。どこかで試せないかなぁ。
子どもの力。
2016.1.23
昨日は、大学時代の友人・先輩達と会っていたのだが、終始、子どもに遊んでもらっていた。いつも思うのだが、子どもは不思議だ。あれだけの大人を夢中にさせ、翻弄させる力。そして「子どもは未来だ」と思わせ、人を動かす力がある。
疲れ切った心身であり、体を動かすことも億劫だったはずなのに、子どもと遊んだ後は、なぜかエネルギーが入っている。
自分も含め、大人というのはいつの間にか金、縄張り、立場など多くの要素での競い合いをし続けるようになる。そんなものは無駄だということが分かっているのにだ。
しかし、時代は変わりつつある。
当たり前の善意、当たり前の高潔さが仕事に結びつくようになっている。そうやって人々は動くようになっているし、それを信じられる力を補充させてくれるのは子どもの力だろう。
昨日は、大学時代の友人・先輩達と会っていたのだが、終始、子どもに遊んでもらっていた。いつも思うのだが、子どもは不思議だ。あれだけの大人を夢中にさせ、翻弄させる力。そして「子どもは未来だ」と思わせ、人を動かす力がある。
疲れ切った心身であり、体を動かすことも億劫だったはずなのに、子どもと遊んだ後は、なぜかエネルギーが入っている。
自分も含め、大人というのはいつの間にか金、縄張り、立場など多くの要素での競い合いをし続けるようになる。そんなものは無駄だということが分かっているのにだ。
しかし、時代は変わりつつある。
当たり前の善意、当たり前の高潔さが仕事に結びつくようになっている。そうやって人々は動くようになっているし、それを信じられる力を補充させてくれるのは子どもの力だろう。