Archive for 2016

他者視点によるUXデザイン

2016.9.21

UXデザインの考え方が日本でも広まりつつあり、至る所でセミナーやセッションが開催されている。取引先などにUXデザインのことを話していると「UXデザインを効率よく学ぶ方法」を尋ねられることが増えてくるのだが、一番の近道は「できるだけ多くの他者視点を自分の中に持つこと」だろう。
 
正確に言うと、「できるだけ多くの他者の行動パターンを自分の中に持つこと」と言える。例えば、「コップの中に水が入っている状況」でのパターンを考えてみよう。
 
レストランで、自分のテーブルの上に水の入ったコップが置かれていたら、大抵の人は自分の水として「飲む」という行動をとる。しかし、その水が泥水のように見えたら「飲まずに放置する」もしくは「飲まずに水を取り替えてもらう」という、「飲まない」という行動をとりやすくなる。水に問題がなくても、コップに棘のような装飾がたくさん付いていたり、汚れていたら「飲まない」という行動をとりつつ、「取り替えてもらう」対象が「コップ」に変わるかもしれない。また、コップも水も問題ない場合も、時間が経ってコップに結露が付いていたら、「水滴を拭き取る」という行動が生まれるかもしれない。
 
パターンというのはこれだけではないが、これらはアフォーダンスと呼ばれる「環境が動物に対して与える行動への意味」であり、アメリカの心理学者であるジェームズ・J・ギブソンが提唱した概念である。
  
そして、UXデザインはこれらのパターンの中から、多数が選びやすいパターンをテスト・予測し、採択していく方法ともいえる。
 

ヒューストン空港の例

 
優れたUXデザインの例として頻繁に上がる「ヒューストン空港の手荷物引渡所」も、人間の行動から改善を加えた良きケースだ。
 
ヒューストン空港は以前より「手荷物引渡所の待ち時間が長い」と、ユーザーからクレームが絶えなかった。ヒューストン空港もスタッフを増員させるなどの改善策を試して、時間を短縮させることは成功したのだが、クレームの数は減らなかった。つまり、ここで肝心なのは「時間を短縮させること」と「待ち時間のクレームの数」は直結しておらず「待たない」ということが必要だということだ。
 
そこで、ヒューストン空港がとった策が「到着ゲートから手荷物引渡所への移動距離を伸ばす」という方法だった。するとどうだろう。到着から手荷物を受け取るまでの総時間は変わらないのに、クレームの数はほぼ0にまで減少したというのだ。空港到着後、以前なら「引渡所で待っている」時間を、ユーザーは自らの足で移動することで時間を使い、引渡所での「待ちぼうけ」の時間をなくしたのだった。
 
人間は行動しているときよりも、何かを待っているときの方が時間を長く感じる。それを利用し、不満をなくした例であり、UXデザインが効果的に働いているケースである。
 
ここでも例外はあるだろう。到着ゲートから全速力で走って引渡所まで到着したら、待ち時間が長くなるということはあるが、それは稀なケースであり、そういった例外まで含める距離にした場合、「移動距離が長すぎる」というクレームが発生しやすくなる。UXデザインとは、この例外をどこまで含めるかが成果の分かれ目でもあり、だからこそ、どれだけ多くのパターンとそのパターンの割合を考えられるかが肝になってくる。
 

パターンを考えるための思考トレーニング

 
UXデザインがパターンと割合をいかに考えつくかであると述べると、「年の功」や「経験の種類」を連想するかもしれないが、実際はそうではないので安心して欲しい。「経験の種類」は多いに越したことはないが、年の功は関係がない。100歳の方が50歳よりも優れたUXデザインを導き出せるかと想像すれば、これがあまり意味のないことだと分かるだろう。パターンとその割合で導き出せるのだから、問題解決の方法はアルゴリズムで解決できるものである。そのため、いつかはAIに取って代わる仕事であるが、まだ人間がやらなければならないので、世の中の全てを経験できない私たちは「想像」と心理学的・脳科学的な行動パターンによって、いくつもの他者を作り出す必要がある。
 
さて、肝心の方法だが、以前にインスタグラムで簡単に載せた方法を詳しく紹介しようと思う。
 
ステップ1:問題が生まれたり、人が何か行動をするときには、かならず「テーマ(命題)」が存在する。
ステップ2:まずは、テーマを「肯定的に話すA」が登場する。
ステップ3:次に、テーマを「否定的に話すB」が登場して、Aと議論をはじめる。
ステップ4:その次に「AとBの折衷案を出すC」が現れて、AとBの間をとる。
ステップ5:AとBの議論がヒートアップし、その間をCが取ることが続く。
ステップ6:すると、「現場をはやし立てるD」が野次馬として近寄ってくる。
ステップ8:DはAの味方にも、Bの味方にも、Cの味方にもなり、それぞれの意見を助長させて、現場が賑やかになる。
ステップ9:最後に「テーマと関係ない話をするE」が加わり、議論は思わぬ方向に発展しながら続いていく。
 
これを頭の中で繰り広げるのだが、Aというのは大抵の場合、自分自身であり、BとCと交わると自分が偏見の塊だといことに気がつく。一方でBはクレーマーであり、Aがそのまま進んだ場合のリスクとなる対象である。DはAやBやCの取り巻きや追従者であり、流行を作るのも、SNSを炎上させるのも彼らである。Cは賢者のように見えるかもしれないが、八方美人のようにもなり、全ての案を採択することはできないことに気がつく。実は大事なのは「関係ない話をするE」なのである。A・B・C・Dが真剣にやっていることも、Eから見たら興味のないことであり、だからこそ、視野が狭くなった当事者達の視野を広げることができるのである。
 
このAからEまでをビジネスに置き換えると、事業者・従業員・ユーザー・関係ない人(未開ユーザー)がどれでも当てはめることができ、Aが事業者ならBはユーザーや従業員になり、AがユーザーならBは事業者や従業員になる(もちろん、C・D・Eも変更可能だ)。そうすると、1人の頭の中で、多くの立場の視点を疑似経験することになり、パターンとその割合が分かるようになる。AIが人種・血液型・環境・年齢など多くの因子から事業パターンを生み出せるようになるまで、私たちは仮説やテストによってUXデザインを導き出すのだ。
 
 
ux_image_001-02

UXデザイナーが育っていない日本。

2016.8.29

最近、事業者やデザイナーたちと会い、協力させていただくことが増えていく中で、「日本ではUXデザインのスキルが育っていない」と気付いた。
 
UXデザインとは「製品やサービスとユーザーが関わったときに、ユーザー満足度を向上させるためのデザイン手法」と言える。今までグラフィックデザイナーやWebデザイナーとして経験を積んできた人達からすると「そんな当たり前なことを、今更何を言ってるのか?」と思うのかもしれないが、これが実践できていないことが多いのが現状だろう。
 
日本では海外とは異なり、デザイナーやディレクターが役割として存在しているのではなく、デザイナーとして経験を積んだ人が、その後、デザイナーの上司としてディレクターとして昇進する縦社会が当たり前になっているため、ディレクターを名乗っている人でも「UXデザイン」への習熟度は同じように低い。
 
では、「わかっているけれど、実践できていない」現場では何が起きているのか? ユーザー=顧客=クライアント(制作会社の顧客)という、「クライアント至上主義」が染み付いてしまい、本当のユーザーであるエンドユーザーよりも、クライアントの言ったことを叶える方に重点を置いてしまっているのだ。クライアントの言ったことを鵜呑みにし、叶えようとすることを何年も経験するうちに、エンドユーザーを置き去りにし、いつの間にか「クライアントが何を言っているのかわからない」ということさえ生じてくる。
 
しかし、広告でも製品でもサービスでも、エンドユーザーがそれらと接触するタイミングや、使用中のこと、リピーターとして使っているときのことを考えると、クライアントが気付いていない自社製品の長所を見つけることができる。そういった長所は、クライアントが「大したことはない」と思っていることが多いので、それを掬って形にし、ユーザーの満足度を向上させる接点へ導くことが、UXデザインになる。
 

カンヌライオンズ受賞作で見るUXデザイン

 
話は少し飛んでしまうが、国際的なデザインやプロジェクトの祭典であるカンヌライオンズも今年の受賞作が発表された。数年前までは優れた広告に賞が与えられるコンペティションだったが、近年では趣向が変わってきており、社会的に意義のあるプロジェクトに賞が与えられるようになってきている。今年でいえば「識字率向上を啓蒙するプロジェクト」や、「重度の呼吸器疾患に苦しむ人々が、1週間でアポロシアターにてコーラスを開催するドキュメンタリー」などが受賞している。
 
つまり、社会的にアプローチするプロジェクトに評価や関心が集まってきており、それを見たユーザーは、Webサイトなどでより詳しくプロジェクトや問題について調べるようになる。ここではユーザーは2種類存在し、プロジェクトのテーマになっている人々(識字能力がない人や呼吸器疾患の人)と、そのプロジェクトを見た人々である。
 
ドキュメンタリー映画「happy」でも取り上げられているように、生得的に人は、他者と協力することで幸福感を得られると言われている。そして、幸福感が長寿などの健康と結びついているというのも知られており、先のようなプロジェクトを見たユーザーが、プロジェクトに投資をしたり、プロジェクトを通さずとして対象となる人に協力したりすると、それでも幸福感は高まるということだ。同時に、そういった協力が増えれば、当事者であるユーザー(識字能力がない人や呼吸器疾患の人)にもプラスに働く。
 
実はこれもUXデザインが働いていて、ユーザーの満足度(=幸福度)を向上させることを手伝っている。プロジェクトの動画やWebの見た目も美しく、グラフィックデザインやWebデザインの手法が軽んじられている訳ではないが、ここでは医療や心理学、教育といった他のジャンルと言われてきた専門性も組み合わさっている。
 
一方で、デザイン部門でグランプリを獲得もした日本企業の受賞作を見ていると、今までのようにウィットを効かせたビジュアル押し、ドラマ仕立ての冗長な企業広告を未だに作っており、海外受賞作と並べると、そのズレは認めざるをえない。
 
これは、その広告を見たユーザーが何を感じ、その後、どのような行動をとって欲しいのかよりも、自社の価値を伝える方を優先させてしまっているためであり、「自社のイノベーション」「自社のドラマ」を押し付けている以外、何もない。受賞作に出ていた充電式電池だが、現に私は、電池を充電式に変えることにより、生活は変わったし、心理的にも随分ストレスは減った。つまり、電池を充電式に変えるというのは、優れたUXデザインになるにも関わらずだ。
 
今までのように、見た目の装飾をつくることに固執してしまえば、デザインはいつまでもグラフィックデザインやWebデザインのままだし、企業の伝えたいことを一方的に形にしてしまえばユーザーは離れていく。しかし、ユーザーとの関係性ということを考えれば、あなたのデザインはUXデザインに変わっていく。それを実践するためには、グラフィックやWebのスキル以上に、他のジャンルのスキルを吸収し、自分のものとしていく努力が必要である。
 
 
ux_image-01-01

Farm kitchen 然さんで食事。

2016.8.19

昨夜は大手町にある無肥料・無農薬である自然栽培野菜を食材に使っている、Farm kitchen 然さんで夕食をとりました。メール予約の際に「グルテンフリーの食事はありますか?」と書いておいたら、前日の夜に電話で回答をいただき、当日も教えていただきながら安心してメニューを選ぶことができました。
 
生野菜はそのままバリバリ食べることができるほど、それぞれの野菜の味があり、素揚げしたゴボウ、グリルしたナスは香ばしさが加わり、ドレッシングをかけずに食べることが出来ます。どれもこれもが甘ったるいのでなければ、味がしないのでもない。それは、自然栽培ならではです。
お通しで刺身が出たけれど、醤油ではなく、味付けされた卵黄で食べることが出来ました。グルテンフリーのメニューを選べるのも、食材だけでなく調味料まで把握し、調理場とホールの連携が取れている証拠です。
 
自然栽培かつグルテンフリーの食事に切り替えてから、外食ではその選択肢がほとんどないことがわかりました。そのため、ほとんどの食事が自炊に戻りましたが、誰かを接待するときなど、こういうお店が増えてくれると、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの際も、訪日外国人に真のおもてなしが出来るのではないでしょうか。
 
大手町なので東京駅からも近く、出張接待のお店としてもいいかもしれないです。
とても良いお店でした。
 
【お店情報】
Farm kitchen 然
  
IMG_4656

メッセージに込めたもの。

2016.8.1

ホームページのトップメッセージを「How can I relieve your anxiety?」に変更しました。訳すと「どうしたら、あなたの不安を和らげることができるだろうか?」になります。「remove:取り除く」にしなかったのは、最終的に答えを決めるのは、不安を抱えている本人自身であったり、企業だからです。その不安は、「利益を上げることができるだろうか」「株価を上げることができるだろうか」「ユーザーを喜ばすことができるだろうか」「上司を説得することができるだろうか」など色々あります。
 
僕らができるのは、不安の根っこを見つけるのを手伝い、根っこから芽を出させ、花を咲かせようと形を作ることです。「こう育てると、こういう花が咲きやすい」という例を示すことや「こういう花の方が合っているんじゃないか」という提案はできるけれど、「どういう花を咲かせたいか」というのは不安を抱えている本人自身が決めなければなりません。
 
そして、不安が新たな不安を呼ぶように、案外、事業者自身や担当者自身が、根っこに気づいていなかったりします。はじめの頃は気づいていたかもしれないけれど、徐々に、新たな不安の方に注意が向けられ、根っこの部分を置き去りにしていることがあります。
 
僕らのような外部の人間だからこそしやすいのは、根っこの部分に再度スポットを当てるということ。そうすると、負の連鎖として新たに生まれた不安も、正の連鎖として解決できたりします。そして、根っこにある不安は、事業者や担当者が常に抱えるものであるのだから、その不安を和らげる方法を考え、形にするのが僕らの仕事です。そういう意味を込めて、「How can I relieve your anxiety?」というメッセージにしました。

価値で価格を決める。

2016.7.23

最近、慣行農業・有機栽培・自然栽培の違いを説明することが多くなり、仕事で得た知識をフル活用しながら、もっと知識を欲している。
  
話をする際、以前は自分も知らないことだらけだったことを踏まえているが、それでも、その道のプロフェッショナル達があまりにも知識を持っていなさすぎることに驚くとともに、「自分のやりたいこと」の前に「自分がやるべきこと」があるのではないかと、頭がこんがらがってくるようになってきた。
 
ここに写真やデザインなどのクリエイティブらしい話が出てこないけれど、「手を動かすことによる精神的回復」、「多様な展開における統一性」、「各地域を結ぶITインフラ」、この3つが結びつくことによる「稼働率の向上」、そのために写真やデザインなどのクリエイティブは必要不可欠な存在となる。
 
仮に良い展開をそれぞれがしたとしても、ロゴマーク(シンボル)が機能していなければ烏合の衆に見え、若気の至りやおっさん達の集まりのような印象となる。そうならないようにするため、プロの手によって、企業(事業)の性質を理解して形に落とし込んだロゴマークを作ることは必要になり、ロゴマークの効果的な見せ方による展開の仕方も同時に必要となる。
 
発信の仕方も、タイムリーで多様な情報を見せる部分と、アーカイブとして整理整頓された品格を持った情報を見せる部分の2つが同時に存在しなければ、情報過多な現代のユーザーは他の情報に吸い寄せられてしまい、離れていく。
 
しかしだ、ここで費用について大きく疑問が生まれる。クライアントは費用を下げようとするのだが、費用を下げるということは、下げた分の価値のもので構わないという意味を持つ。例えばロゴマークについて、一つ2万円から5万円で依頼している案件をクラウドソーシングを見ていると頻繁に出てくるのだが、その程度の金額の価値で、一生、最低でも5年は「企業の顔」として使っていこうと本気で考えているのだろうか。それとも使い捨ての時代がこれからも続くと踏んで、使い捨てのロゴマークが欲しいのだろうか。企業の性質を表す顔としての価値、それをクライアント自身で下げているのが、「相談できるプロが近くにいない不幸」だと不憫に思う。
 
スキルが高いと評価を受けてきた日本のクリエイティブのはずなのに、いつの間にか、インスタント品質のクリエイティブになってしまうのだろうか。
 
「餅は餅屋」という慣用句があるように、プロは技術をいつも高めてきたし、これからもその技術を高めようと努める。価格を下げるということは、そこで得られたスキルやセンスを自分でも下げることであり、その過程で協力してくれた周囲の人達の価値も下げることにつながる。「足を向けて寝られない」というのは、恩人と会っているときにだけ粗略に扱わないということではなく、心の中にいる恩義を感じる人達に失礼のないように、自分の言動を選んでいくことだ。
  
時間や作業量で価格を決めるのではない。提供する価値で価格を決めることをしていれば、価格を下げることがどれだけ失礼なことか、制作者もクライアントも自ずとわかるのではないだろうか。