Archive for 2015
交代劇。
2015.3.1
昨日、マッサージを受けていると、途中から担当者が変わった。施術後、元の人と話してみると、「手首が痛くなった」ということだった。マッサージ師において、手首を傷めるのは職業病のようで、他にも腕に筋肉がついてしまうなど色々あるようだった。
2年ほど通っているお店で、施術中に担当者が変わるというのは初めてのことであり、施術者が変わればマッサージの仕方も変わる。半眠半覚の状態であった僕にとってはここがどこかのか分からなくなり、自分が浮遊しているかのような心地になった。
交代劇からの二人の担当者による施術が無事に終わり(?)、待合室に行くと元の担当者が職業病のこと、タイ古式マッサージの流派のことなど色々と話してくれた。
その中でも驚いたのは、腕立て伏せならぬ、親指での指立て伏せがあるということだ。格闘技やドラゴンボールの世界だけと思っていた訓練方法が、人を健康にするためのマッサージの世界という真逆とも思える世界にあるのだった。考えてみれば、人が人に触れて健康にしていくということ。恐ろしいパワーを使うだろうし、それをやってくれるのも僕と同じ人間なのだ。身体を傷めることもあるし、調子が悪いときもある。自分の不調を認め、別の担当者に変わる判断をした一人目の担当者、それを引き受けた担当者の連携がとても素晴らしいと思えたのだった。
昨日、マッサージを受けていると、途中から担当者が変わった。施術後、元の人と話してみると、「手首が痛くなった」ということだった。マッサージ師において、手首を傷めるのは職業病のようで、他にも腕に筋肉がついてしまうなど色々あるようだった。
2年ほど通っているお店で、施術中に担当者が変わるというのは初めてのことであり、施術者が変わればマッサージの仕方も変わる。半眠半覚の状態であった僕にとってはここがどこかのか分からなくなり、自分が浮遊しているかのような心地になった。
交代劇からの二人の担当者による施術が無事に終わり(?)、待合室に行くと元の担当者が職業病のこと、タイ古式マッサージの流派のことなど色々と話してくれた。
その中でも驚いたのは、腕立て伏せならぬ、親指での指立て伏せがあるということだ。格闘技やドラゴンボールの世界だけと思っていた訓練方法が、人を健康にするためのマッサージの世界という真逆とも思える世界にあるのだった。考えてみれば、人が人に触れて健康にしていくということ。恐ろしいパワーを使うだろうし、それをやってくれるのも僕と同じ人間なのだ。身体を傷めることもあるし、調子が悪いときもある。自分の不調を認め、別の担当者に変わる判断をした一人目の担当者、それを引き受けた担当者の連携がとても素晴らしいと思えたのだった。
平和の仕組み。
2015.2.21
ふとした時に、しばらく会っていない友人や昔付き合っていた恋人、死んでしまった人のことを「元気でやっているだろうか」と思うことがある。そこに「会いたい」という感情はなく、空を眺めたり、車や電車での移動中に雑踏に目をやったときに思うことが多い。
天国というのがあるのならば、死んでしまった人達が元気でやってくれていたら嬉しい。仮になくても、「そう思う自由」を手に入れていることを再認するのだ。
僕らは宗教や国家に縛られることがない希有な民族である。そのためかどうかはわからないが、アイロニカルにも社会やルールに縛られがちになる。もっと、僕らは自由になれるのだ。
宗教を持たないということは、盲信からの戦争をなくせるということ。国家を軽視するということは、トップの命令からの戦争をなくせるということ。個人で戦争は起こせない。個人同士が集まっても、少人数のコミュニティが出来るだけであり、それでも戦争は起こせない。
平和の仕組みをもって世界に向けて紹介できるのかもしれない。
ふとした時に、しばらく会っていない友人や昔付き合っていた恋人、死んでしまった人のことを「元気でやっているだろうか」と思うことがある。そこに「会いたい」という感情はなく、空を眺めたり、車や電車での移動中に雑踏に目をやったときに思うことが多い。
天国というのがあるのならば、死んでしまった人達が元気でやってくれていたら嬉しい。仮になくても、「そう思う自由」を手に入れていることを再認するのだ。
僕らは宗教や国家に縛られることがない希有な民族である。そのためかどうかはわからないが、アイロニカルにも社会やルールに縛られがちになる。もっと、僕らは自由になれるのだ。
宗教を持たないということは、盲信からの戦争をなくせるということ。国家を軽視するということは、トップの命令からの戦争をなくせるということ。個人で戦争は起こせない。個人同士が集まっても、少人数のコミュニティが出来るだけであり、それでも戦争は起こせない。
平和の仕組みをもって世界に向けて紹介できるのかもしれない。
ようやく休めた。
2015.2.15
朝、起床し、喉の調子が芳しくないことに気がつき、予定していた新居探しを辞め、墓参りに行くことにした。道中、「自分は何のために生まれてきたのか」という疑問を持ち、その答えを探しているうちに眠ってしまった。
イメージやアイデアが天から降ってきたり、マグマのように湧き出たりすることがなくなっていくように、僕は年を重ねているのかもしれない。十分生き切ったという気持ちは当時から日増しに強くなる。
今年も近所の梅は咲き始め、もうすぐ春がやってくる。ネットニュースでは、「イスラム国」か「イスラム●●」か、名称が取り上げられているが、本当に恐ろしいことは、人が人を殺し、それが昔から今日に至るまで当り前に起きていることだ。搾取もそうだし、資本主義の格差も同じように、昔から尾を引き、全て同じこととして繋がっている。
墓参りからの帰宅の電車内、約一時間半を、うたた寝をして過ごした。川越市から始まり、武蔵小杉で目が覚めると、乗客の雰囲気や格好が違うことに気がつく。時間は流れ、僕がいてもいなくても日常はこうやって動いていくことに安堵した。
日吉に着く頃には、身体がいくばくか軽くなっていた。
朝、起床し、喉の調子が芳しくないことに気がつき、予定していた新居探しを辞め、墓参りに行くことにした。道中、「自分は何のために生まれてきたのか」という疑問を持ち、その答えを探しているうちに眠ってしまった。
イメージやアイデアが天から降ってきたり、マグマのように湧き出たりすることがなくなっていくように、僕は年を重ねているのかもしれない。十分生き切ったという気持ちは当時から日増しに強くなる。
今年も近所の梅は咲き始め、もうすぐ春がやってくる。ネットニュースでは、「イスラム国」か「イスラム●●」か、名称が取り上げられているが、本当に恐ろしいことは、人が人を殺し、それが昔から今日に至るまで当り前に起きていることだ。搾取もそうだし、資本主義の格差も同じように、昔から尾を引き、全て同じこととして繋がっている。
墓参りからの帰宅の電車内、約一時間半を、うたた寝をして過ごした。川越市から始まり、武蔵小杉で目が覚めると、乗客の雰囲気や格好が違うことに気がつく。時間は流れ、僕がいてもいなくても日常はこうやって動いていくことに安堵した。
日吉に着く頃には、身体がいくばくか軽くなっていた。
自然の声。
2015.2.14
怒濤の日々のほんの少しの束の間、海に行ってきた。午後3時半を回ろうとしている頃に到着すると、ウィンドサーフィンの団体らしきものが見えた。工事をしているせいか、とんびが少なく、その代わりに海に浮かぶ三角の旗の群れが、海を占拠しているようだった。
傾き始めた日が、海に煌めきをもたらし、一人で海に向かうサーファー達は、どこか勇敢に見えた。100枚ほどシャッターを切ってから腰を下ろし、しばらくの間、海の声を聞いていた。
自然の声は良い。雑念や思惑などなく、ただそうあるべき声だけを僕らに届けてくれる。優しさや悲しみ、怒りや慈しみ。そのどれもが当り前であるように、ストレートに自分の心を開くことで聞こえてくる声がそこにはある。
怒濤の日々のほんの少しの束の間、海に行ってきた。午後3時半を回ろうとしている頃に到着すると、ウィンドサーフィンの団体らしきものが見えた。工事をしているせいか、とんびが少なく、その代わりに海に浮かぶ三角の旗の群れが、海を占拠しているようだった。
傾き始めた日が、海に煌めきをもたらし、一人で海に向かうサーファー達は、どこか勇敢に見えた。100枚ほどシャッターを切ってから腰を下ろし、しばらくの間、海の声を聞いていた。
自然の声は良い。雑念や思惑などなく、ただそうあるべき声だけを僕らに届けてくれる。優しさや悲しみ、怒りや慈しみ。そのどれもが当り前であるように、ストレートに自分の心を開くことで聞こえてくる声がそこにはある。