Archive for 2014.1

社会の中にいるのなら

2014.1.19

誉められるというのは照れます。それよりも、その人を喜ばせたい、ラクさせたいと思うのです。ここ数年よく思うのですが、一等賞も大事ですが、一人じゃ表彰台に立ってもつまらないということです。これね、人といる、つまり社会にいるときを前提として話しますが、表彰台も人の作りだしたもの。ならば、誉めてくれる人がいて、はじめて気持ちがいいものです。
 
人はいるのに、誉めてくれる人が、だ〜れもいない状況では寂しさや怒りが増していくだけなんですよね。
 
だからね、社会の中にいるのなら人から誉められるような人間であるってことは、大切な要素なんだろうな。

何も考えずに

2014.1.18

少しの間、何も考えずに文字を打ってみることにしてみたのですが、こういっても何かしらの言葉になっているのが驚きです。いや、そもそも人に話すことを前提として書いているので、誰かに向けているんです。
 
でね、「何でも良いから話してみて」と本気でやってみると案外、言葉というのは出てくるものです。それにも関わらず、言葉が出てこないというのは、格好つけようとか、間違ってはいけないだとか、場の雰囲気を壊してはいけないなどの考えが、言葉を出なくさせているんです。
 
けれども、その考えも自分の頭の中が作りだした環境でしかないので、な〜んも恐れる必要がなかったんだよね、本当は。
 
そんなことを何も考えずに文字を打つことから、考えつきました……って、これいつもわかっているし、以前にも話しましたね。

恐れや不安が一番の敵

2014.1.16

もう何度も話していることですが、「恐れ」や「不安」が一番自分を苦しめるし、他人を苦しめることになります。

合理性の低い規則や法と出会うたびに、そこに根付いている恐れの原因は、人を信じないということだと再認識します。信じなければ、他人は自分に危害を加える対象と予感しますし、対策をする必要にかられます。

そうして、人を守るためではなく、人を信じないことで生まれるものが、他人をがんじがらめにして窒息させるんですよね。

正直が一番

2014.1.15

僕がやっていることは、どういうことだろうか。藝術だとか、写真だとか、デザインだとか色々あるけれど、果たしてどれが本来の姿なのだろうかと、考えてみた。

いつも手を動かしては、何か悪巧みをし、ピカーんと閃いたらめっけもん。閃かなくても、まぁいっかと開き直れる。何ともズルい職種だ。

しかし、だからこそ、心に引っ掛かりが生まれた場合はたとえ面倒臭くても言うようにしている。

そういう姿勢を誰か別の人と共有できた時、かなり嬉しいものです。

レンズスタイルカメラ

2014.1.13

レンズスタイルカメラを試してみたんですが、これは革新的だと感じました。レンズを分離してもスマホで確認できるし、ちょっと離れた人に投げ渡してこちらで撮影することも可能(投げ渡すのは、格好つけるため)。
 
ただ、自在に動くことが可能なので、慣れるまでは動きすぎる感があり、逆にこの自在さに慣れてしまえば、従来の脇を締めて固定させる撮影には戻れないような恐れも感じました。そして、将来的にこの「自在さ」が当たり前になるとも予感しました。
 
撮影までの遅さや連写時の切り替えの遅さ、筐体サイズなんてものは、すぐに解消される製品が出てくるでしょう。それよりも撮影スタイルの変化に僕ら写真家やカメラマンはついて行けるのかと、恐ろしく感じています。余談ですが、ついていこうとしない人たちは、何かしらの屁理屈を述べては籠城し、若い奴らのことをダメだと言い続ける手段をとるのでしょう(従来通りですね)。
 
上位モデルがポケットサイズになったら買います。それまでは、 iPhoneのみで。
 
それにしても、「スタイル」という言葉が、おしゃれ、先進さを表す単語になっているな。ライフスタイルとかね。