Archive for 2014

性格

2014.11.3

何かがあっても、最終的にはラッキーと思える性格は得なのだな、と思った。人からよく言われていたのだか、実感しないまま、人から言われると「そんなもんかな〜」と疑問になるが、さすがにこの年齢になってくると、僕の方がアブノーマルかもしれないと思えるようになってくる。

何かトラブルが起きた瞬間は「参ったな〜」と本気で思うが、なぜか最終的には、そのことの気持ち良さを発見することが出来るのだ。

そのお陰で、楽しく過ごせるんだよね。家で仕事をしててもね。これが、家に仕事を持ち帰る理由かもしんない、、、になってないか?

さよなら、これまで。

2014.11.2

今、自宅のお風呂場のガス機器を取り替え中。と言っても、僕が取り替えているわけではなく、ガス屋さんが取り替えてくれている。慣れた様子で進んでいるが、それでも、息が上がる様子が時折感じ取れるので、作業は重労働なのだろう。
 
さっき、チラッと機器を覗いてみたら、かなり綺麗な機械になっている(当り前だ)。これで、シャワーが使えない生活からオサラバかと思うと、あの苦労した日々も幾ばくかの感慨がある。昨日(今夜)もAM3:00の風呂だったが……。
 
まぁ、30分ぐらいで風呂が沸くことも分かったし、湯船の気持ち良さも思い出したので、これからは、ちょくちょく湯船に浸かろう。良い経験をした。
 
後は、このまま無事に工事が終るのを祈るのみ。頼むぜ、ガス屋さん!

これもまた事実。

2014.11.1

既に死んでいる命。胡蝶の夢のように、現実だろうと夢だろうと同じ事をしているのだから、生きていても死んでいても同じことのように感じている。人類が自分一人になった場合でも、同じことをしているだろうと予想し、面倒臭いことがなくなるために、そんな状況を望んでいる自分がいるのも、また事実だ。
 

 
恋というのは、人が話すように、それほど素晴らしいことなのだろうか。その気持ちがなかなか思い出すことが出来ないでいる。「恋」の内容が、多数派と異なるだけなのかもしれないが、どちらにせよ、どこかで疑問がよぎるのも事実だ。
 

 
女の人が好きだし、セックスも気持ちがいい。しかし、目の前にいる人が「何のために生きているのか」わからなくなり、胡蝶の夢のように、どこかで現実のような夢、夢のような現実のように感じてしまうのも、事実だ。

『二十二世紀写真史』のその後。

2014.10.26

写真家の秦さんが『二十二世紀写真史』を出版した。これは、昨年の2〜3月にかけて、秦さんが同世代の写真家たちと対談し続けた内容が書かれている。当時はustreamで配信もしていて、話す内容によって秦さんのテンションが違うのが、正直すぎて、僕は好きだった。しかし、同時に「怒濤の日々だな」と心配したのも事実だ。そこには僕も参加していて、もう随分昔のような気がしていたので、「昨年」と書いて驚いた。それほどまでに、この1年は早かったのだな。
  
僕個人としては、その時に話した内容と、今の気持ちは、それほど遠くはないだろう。ただ変わったのは、ビールの後に焼酎ではなくて、ウィスキーの水割りを呑むようになったぐらいかもしれない。
 
後は、その時に話していたことの速度が上がってきているということだろう。
 
今の気分としては、「もっといける」と「好きなことやりながら死ねるのが最高でしょ」ということ。ホント、今の気分なので、明日は違うかもしれないけれど。
 
というのも、僕らには「過去」があって、「今」があって、「未来」をつくっていくでしょ。だから、あの時に話したのは過去で、出版が今で、その後の二十二世紀を僕らはつくっていきます。それは、どんな人でも、どんな職業でも同じなので、今生きている人にも、これから生まれてくる人にも、もう死んじゃった人にも、皆に読んでもらいたい本になっています(はずです)。
 
とにもかくにも、秦さんと出版に携わった方々、お疲れ様でした! また、呑みましょうね〜。

「金のため」も1つの選択肢。

2014.10.25

ふと思ったのだが、「金のため」という選択肢を持っておく必要もあるだろう。昔は、「金のために作品を作っているのか?」と悩み、倒れたこともあった。その当時は、「金のため」というのは一種の悪だと考えていたし、それ以降も「これを最上位の価値と思っている人を、否定するつもりはない」程度に思っていた。
 
だが、その選択肢を無理に最上位に持ってくる必要性はないが、それでも、「金のため」という選択肢を持っておく必要があるかもしれないと感じているのだ。
 
特に今、その選択肢を持っていないために、完全に逃げ道や心の担保が足りなくなりそうな状況だ。「時間」、「労力」、「金銭」、「感情」のコストとメリット——あぁ、そうだ。昔のガツガツしていた頃とは違い、安心しているために、僕は今、「金銭」のメリットを、全く失っていた。
 
昔の感覚を、ちょっとだけ取り戻していこう。