Archive for 2014

ひとつの疑問、たくさんの疑問

2014.5.23

生きるとは何だろうか? とりあえずは、価値あることとして一般的には思われている。そして、倫理的な価値を満たすように位置付けられている。

それでも、生きるとは何だろうか? 科学的根拠を並べて機械と区別されてもいる。家畜や装飾品のために殺される動物もいる。

人間とその他で、生きるというのは違うものだろうか? 死んだとされる人間とも、会うことがある。会ったことがない、遠い時代の人間とも会うことができる。

多くの人がこの問いに挑み、それぞれの答えを僕らは読むことになった。しかし、それは単に、自分以外の誰かが主張している文句に過ぎない。この問いこそが、自分だけの答えを持たなきゃならない問いなのだろう。

生きるとは何だろうか? 僕らが産まれ、育ち、それ即ち「生きる」と呼ばれているものだ。その先に、死を通過し、またその先はどうなっているのか、わからない。

帰るところ

2014.5.18

先週あたりから、静かな苛立ちが途切れることなく続いている。昔、本で「男性にも生理のような不調がある」ということを読んだことがあるが、そんな感じだ。
 
このままだとやばい、と思いつつ歩を進めた先は、横浜と新高島の間にあるベンチだった。そこは、以前にも話したように、都心の中にある気持ちの良い「抜け」の場所だ。
 
コンビニで買ったミックスジュースを飲みながら、ベンチに寝っ転がり、手を腹に当てて目を閉じる。
 
陽の光が肌を温め、風が心についた垢を飛ばしてくれる。あぁ、俺が生命を取り戻していくのがわかる。こんなにも当り前なことを、都会で生活していると忘れていくのだな。自分を取り戻すのは、自分しかいない。

アクシデント

2014.5.17

現在、マンションの僕らの住んでいる棟のみ断水中。洗濯は途中で止まり、顔は洗っていない。掃除をしている時に止まったので、部屋は綺麗なのに、手は汚れている(はずだ)。しかし、体の汚れ(と思われているもの)を落とすことが、それほど必要なのかという気さえしてくる。
 
これが数日間続けば、風呂の有り難さを感じる。それは旅でとてもよく知ったし、入院の経験からも人間の生活で風呂が必須なのはわかっている。
 
けれども、たった半日〜一日と思えば、そこまで必要ではないだろうと思えてくるのだ。
 
それよりも、断水後に外に出て、偶然出くわした同じ棟の住人達と抱く「不思議な連帯感」を経験することの方が、人間への希望を見出せるのだった。

残す側

2014.5.11

命が生まれて、生き、死ぬ。偶然が重なって生まれては生きて、偶然に死ぬ。そう思えば、自分も人と一緒に生きることに踏み切れるかといえばそうではなく、たとえ死んだとしても、人の想いというのは重くなって残ってしまう。僕らがそうであったように——。
 
単純な話、残された人間は、その想いを加速させて膨らましてしまうのだ。残す側になってしまう可能性が高いのなら、種は早めに積んでおきたくなる。感情に惑わされるなと言い聞かす。

GWに神社を勧められる

2014.5.5

知人に勧められて、日枝神社に行ってきた。風神雷神や仁王像の替わりに、猿が立っていた。どうやら「魔が去る」という意味で「神猿(まさる)」と呼ぶらしい。「遂に俺(マサル)も神になったか」と思ったが、相手は猿だ。人間じゃない。
 
しかし、超人といえば、既に「人間という領域を超えている」という意味もあるのだから、超人を目指すということは、即ち、人間を捨てるということでもある。
 
そんな風にして、ほくそ笑みながら境内を散策していたのだが、とにもかくにも気持ちの良い抜け感がある。高層ビルに囲まれているにもかかわらず、境内に何もかからないようにしているつくりのお蔭か、道中のビル群とのギャップが「気持ちの良さ」に拍車をかける。
 
パワースポットということで勧められ、何のパワーなのかわからないが、とりあえず、気持ちの良い場所だった。
 
 
※トップページの写真を全部とりかえました。