Archive for 2014

映画2本と変化

2014.7.13

「ザ・エンド」を観た。絶景の描写は、それだけで強いと途中まで展開の遅さに疑問を持っていたが、途中から人生の最期を迎えるときの心情を見ているようだった。後悔、怒り、不安、、、人は独りで産まれて独りで死んでいく。そのとき実際は孤独であり、孤独に支配されるとーー。しかし、ラストシーンで希望を持って夜を明かしたとき、誰も知らない未来へと続いた。僕らは死を恐れる。僕らは予測不可能な未来を恐れる。しかし、死は未来であり、未来は誰もわからないものなのだから、恐れ、孤独を感じる必要はない。そんな人生訓を再確認する映画だった。
 
つづけて、「風立ちぬ」を観ました。色々、詰め込まれている映画だったけれど、最後にはやっぱり涙がこぼれる良さがあった。持病持ち、仕事人間の故、どちらの気持ちも分かってしまう。優しい配慮で包まれていた映画だった。
 
話は変わるが、久し振りにお米を炊いている。良い香りがしているが、前ほど感動していないようだ。食欲が落ちていることといい、何か根本的なところが変わってきているのかもしれない。

因果関係

2014.7.6

「おなら」の臭さに自分でも驚くときがある。
 
さっきがまさにそうだが、
そういう時は決まって「ニンニク」を食べている。
 
驚くということは、
自分以外の異物として感じているということで、
それはニンニクによってもたらされている。
 
つまり、ニンニクは自分とは違うっていうこと。
 
ニンニクの持っている力は自分では作りだすことができないってこと。
 
自分で作りだすことができない力が必要な場合は、
取り込むしかない。
 
つまり、おならは臭くなるってことだ。
 
それは因果関係だよね。

トップページ更新

2014.6.29

先月に引き続き、トップページの写真を変更しました。
これからは、月イチで更新できたら嬉しいです。
 
詳しくはこちら

星と人間

2014.6.28

旅のはじまりというのは、どこからはじまるのだろうか。昔、喧噪から離れて自然の中へ野宿をしに行っていた頃のことを思い出したり、都会の真ん中のベンチで昼寝をしたりするときに訪れる心の状態は似ている。
 
ただ、一点異なるのは、「危険度」だ。自然の中にいたら、相手は自然であり、何がおこるか分からない不安は常に頭の片隅にあり、アンテナを張っている状態だ。それが、都会になると、暴漢の気配を察知するかどうかになってくる。相手は人間という自然になり、より身近になる。
 
そして、実際に目にする星々は、山の中の星の海とはかけ離れた一番星という島を探すことになる。人間も星も全てが平等に輝いている。遠くから見たら、輝きは違うのかもしれないが、輝いているということにおいては、皆、平等の力を持っているのだ。

安定の伝え方

2014.6.23

瞑想で木陰を見た。自分たちは宇宙の星々のたった一つであって、総体ではない。そういうことを見ながら、考えていると、自分が何ものかである必要のなさを感じるのだ。
 
しかし、常にそうであると、離人が起きやすくなるのも仕方が無いことだ。何ものかであることを求められる社会の中にいては、何ものかである必要のなさで過ごすには、いささか不安定なことになる。
 
それとも、その気持ちのまま、安定を保つことができるのだろうか。いや、もしかしたら、大地のような気持ちになれれば、大地と一体のような心持ちになれば、安定はしていられるのかもしれない。
 
つまり、地球と一体ということか、、、ん? いつもと同じ結果じゃないか。やはり、人間は地球と一体だったと感じることが、安定に繋がるのかもしれない。そして、地球は広大な宇宙の中にいる。広大さは無限だけれども、地球の位置は、我々の位置は一定である。そう、はじめから一定なのだ。何を焦る必要があったのだろうか。
 
いや、焦ってなどいなかったな。
 
伝えることの出来る方法論を、手に入れる必要があるのだろう。大事なことは、自分の修行次第ということが多い。どの文化、どの宗教においてもそうである。師、その人自身も修行中の身であり、一生涯修行ということになる。いやはや、実際そうなのだが、ある一定レベルの悟りの状態は、もっと簡単に伝えることは出来ないだろうか、と思うのだ。あまりにも辛く、苦しい状態を過ぎて漸く辿り着くのが「始まり」では、その苦しみを他人に与えろというのか。それは、酷だろうよ、と思うのだ。
 
もうちょっとラクに伝えられる方法論はないのだろうか。