Archive for 2013.12

自由のひとつ

2013.12.19

自分が何者かわからなくなるとき、「コピーで構わない」と思う。何故、日本語を話せるのか、何故、この髪型、服装をしているのかーー様々なものが、今の僕をつくり、実体をもつと思われる肉体でさえ、胡蝶が見ている夢かもしれないのだ。そう思うことの妥当性を低いか高いと問われれば、極めて高い妥当性だろう。つまり、完全なオリジナルなんてないと腹を括る方が、自由を得られる。

具体的

2013.12.19

肩を後ろに下げると、胸を張ることになり、猫背が改善される。猫背を治すことを意識するのは難しいが、肩を後ろに下げることは、意識しやすい。

猫背を治す→胸を張る→肩を後ろに下げる、どんどん具体的な動作になっていくことで、自分がすべきことがイメージしやすくなる。

今年中に英単語力と姿勢の良さを手に入れようと思っています。

脳内

2013.12.17

米の撮影・レタッチ。コンセプトを見直してみると、食うことへの感謝であるのならば、人間を被写体にしてもいいことに気がついた。「食うこと」が「吸収して、自分のものにすること」なのだから、他人の魂や精神を食わせてもらい、自分のものにしてきたお蔭で、今の自分がいる。そう思えば、歴史を被写体にしてもいいんだな。
 
いや、ものにするには、拡張しすぎだな。人を撮るのなら、今まで通り肖像写真として撮影している方が、情感を込められるし、商取引になる。歴史なら、タイムトラベルとして作った方が、強固なものになる。やはり、食に限定した方がいいな。
 
【日本語】
http://eguchimasaru.com/bk/portfolio/011_grace/index.html

[eng]
http://eguchimasaru.com/bk/eng/portfolio/011_grace/index.html

 

宇宙空間

2013.12.15

『ゼロ・グラビティ』を観ました。とても美しい描写の連続で、宇宙空間に放り出される恐さと表裏一体になることで、傍観者として恍惚とできる映画でした。
 
物語としては、不幸を抱えている主人公に、どうしようもない苦難が連続して襲ってくる、という典型的なものなのだけれども、典型的だからこそ、「宇宙」という状況や「生きることを選ぶ」という心理描写が、克明に浮かび上がってくる。
 
2Dで観たんだけれども、3Dで観直してもいいな〜、と思える映画でした。
 
余談ですが、『エイリアン』や今度公開される『エイダーのゲーム』など、宇宙が背景となると、こっちこちの男性が主人公になる映画って、実は少ないのかもしれない。そんなことを思いました。

貴重な数秒

2013.12.14

運動をして、最後の懸垂でのぶら下がり。ふくらはぎの筋肉だけで体重を支えているのではなく、ふくらはぎから臀部、腰、上半身を使って支え、つま先でバランスをとっていると支えやすい。それでも、数十秒も支えているのは至難の業で、ものの数秒が限界。
 
この数秒も、自分が自然物だということを取り戻す大切な時間だ。普段と異なる体の使い方をすることで、機械ではなく、変化もあるし、意志もある、自然物であることに着地できる。
 
だが、もしも、機械にもこのような変化と意志があれば、僕は僕と同じように自然物だと言っちゃうだろうな。それぐらい、柔軟でいたいな〜。