自由のひとつ

2013.12.19日々のこと

自分が何者かわからなくなるとき、「コピーで構わない」と思う。何故、日本語を話せるのか、何故、この髪型、服装をしているのかーー様々なものが、今の僕をつくり、実体をもつと思われる肉体でさえ、胡蝶が見ている夢かもしれないのだ。そう思うことの妥当性を低いか高いと問われれば、極めて高い妥当性だろう。つまり、完全なオリジナルなんてないと腹を括る方が、自由を得られる。

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