Archive for 2013.5

時間感覚

2013.5.16

ここでもよく時間感覚について話していると思いますが、今日もその話です。
 
眠りにつく時間が遅くなったせいか、一週間が長く感じるようになりました。
 
「あれ? まだ木曜日なんだ」と今日にいたっては金曜日と間違えたほどです。
 
そこから考えてみたら、日照時間とともに生活をしていた時代の時間の速度は、あっちゅーまだったのかもしれないですね。
 
子どもが時間を長く感じるのなら、僕は子どもに近づいているのかもしれないですし、ひたすら何かを作るのは子どもに近づいているのかもね。

優しい

2013.5.15

よく思うのですが、「どーしても好きなんだ」ということ以外はある程度でいいと思うんです。
 
あれもこれも超ど級というのは、どうしよもうなく疲れてしまうものです。仮に、出来た気分になっても、実は周りを疲れさせておしまいであることが多いような気がしています。
 
知識勝負と似ていると思ったら、そう、「あれもこれも」という人は知識勝負をよくします。僕も数年前までは知識欲が高く、知識勝負を好んでいました。でも、当時を振り返ると「優しさ」は少なかったと思うんですよね。
 
僕は、そうならずに止まることが出来てよかったと思っています。「あれもこれも」とならないことで、心が豊かになれた気がするのです。今はね、優しいってとても良いことだと思うんです。

なんの話?

2013.5.15

メトロポリスと言う場合、概念図だったり俯瞰図として捉えて話すことになってしまい、そこにいる人のことを話してはいない。
 
それは、都市、田舎、会社、社会などと称しているときも同じで、本当は、一人の生きた人間が複数人集まって構成されているはずなのに、その人間を無視して話すことになっている。
 
しかし、いざ、全ての人を網羅して話そうとすると、それは不可能だとわかり、集約してピックアップした性質を話すことになるのだが、話し手も聞き手もこの作業をしていることを忘れると、「何の話だ?」ということになるよね〜。

母の日だったようです。

2013.5.14

昨日は母の日だったようです。偶然にも用があって、母親と会っていました。二人とも「母の日」に気付いていたのかどうかはわかりませんが、その単語を一度も言葉にしませんでした。
 
けれども、大事な話が出来ました。大別すると「人間としての幸せ」、「個人を前提で社会」、「死生観」についてです。
 
途中、母にとっては辛い内容な話もしただろうが、理解をしてくれた感じがしたのでした。
 
母からもそのような死生観の話をはじめて聞かされました。僕等の家系は命についての苦労が多いとだけで、詳しくは割愛しますが、そんな会話をしていた昨日はとても嬉しかったです。
 
僕は、社会の中の人間としては立派かどうかわからないけれど、恥ずかしいことはしていないし、個人としての人間においては、立派に育ったと自負できます。
 
よく思うんですが、僕は幸せ者ですね〜。
 
ありがとうね。

クモ

2013.5.12

昨日と今朝、部屋の中でクモを見つけました。
 
忌み嫌われやすい存在でもある、迷信や逸話が多い存在でもありますが、僕は迷信の類いは信じていませんし、忌み嫌ってもいません。
 
動きを目で追うのを楽しんでしまうので、むしろ好印象と言えるでしょう。
 
なんで嫌われるのだろうと考えてみました。「虫」っていう苦手意識、足の長さ、動き、顔がいかつい、毒蜘蛛がいるなどが浮かびましたが、「毒」以外は個人の好き嫌いですよね〜。
 
それにも関わらず、総体として「好き」よりも「嫌い」の方が多いように感じてしまうのが問題なんだろうなと思いました。それから、個人の中に「嫌い」を増やしていくと疲れちゃうと思うんですよね。
 
「嫌い」って「許せない」に繋がるでしょう、「あいつの考え方や存在が許せない」みたいな。