Archive for 2013.5

思い込みの話

2013.5.22

「思い込み」というのをよく利用しているかもしれません。
 
たとえば、「お腹が空いている方が頭が冴える」みたいなことです。科学的に立証されていようがなかろうが、そのことを信じるか信じないかは自分次第だと思っているので、「お腹が空き始めたけれど、作業を中断したくないな」というときに、あ、そういえばと利用しています。
 
都合が良いっちゃそうなんですが、「科学的に立証」というのを手放しで信じることはしないんです。
 
おそらくね、科学がない時代でも誰かしらが思いついて、他の誰かに話していると思うんです。
 
だからね、科学だとかPCだとか、手垢を超えるようなものに心酔は出来ないんです。
 
とても大切な相棒なんですが。

カレーという言葉

2013.5.21

カレーっていうのは不思議なものだと思いました。
 
日本だけでも沢山の人に愛されてると思うんですが、味はもちろんのこと、辛さの種類や具の種類、トッピングや食べるタイミングなんかにも好みがあるでしょう。
 
つまり、カレーと聞けば、思い浮かべられるけれど、その思い浮かべた内容はとても違うはずです。
 
そして、この違ってしまう内容こそ、それぞれが大切にしていることなんだよな〜、なんて気付いてしまったのでした。
 
同じ国民食でもラーメンだったら、やっぱりお店っぽいものを想像しやすいでしょうが、カレーはね、家のも、お店のも、どこかの国のも想像されてるはずです。
 
ひとつの単語でそんなことができるなんて、ちょっと感動しました。

紹介

2013.5.19

ここでもちょくちょく紹介している、イラストレーターの遠藤拓人さんの写真展『ontology』を観てきました。写真を撮っていることは知っていましたし、イラストの展示でも、たしかブックであったような気がしていたのですが、この度、写真での初個展に至ったのでした。
 
2つの会場を明と暗とに分けて構成した内容も良いし、バリバリにレタッチを施しながら、ギリギリいじっていないように見せているのは、流石でした。
 
内容もそうなのですが、いくつもの職業名を持つのは良いことだと思っているし、写真をレタッチするのはレタッチャーというのは日本ぐらいなもの(海外では写真家もカメラマンもレタッチが出来るが当然です)なので、こういうのはとても嬉しいです。
 
(会場でシマダさんが販売していたコーヒーも美味しかったしね~)

自由である

2013.5.18

「自由である気持ち」というのを、忘れないようにしているかもしれません。年齢を重ねたり、経験を積んだり、技術が向上したり、社会の中で生きたりしていると、どうしても「こうでなきゃいけない」や「是が非でも譲れない」などの一本柱が生まれやすいです。
 
一見すると、その柱は強いように見えますが、実は変化を恐れたり、自分以外を排除しています。時には、正義の使者のように思われますが、そこで起きているのは必ずと言っていいほど「争い」です。撲滅、撤廃、排斥、非難、武力行使などの争いが生まれます。
 
そして、必ずと言っていいほど、争いは負けた相手を粉々に打ち砕きます。それは、敗者が復讐できないようにするためです。人は誰でも、恨みや憎しみの感情を知っていて、その感情から生まれる行動も感じ取れます。だから粉々にする必要が出てくるのです。
 
この「仕組み」に気付いてからかどうかはわかりませんが、一本柱というのを持たないような考え方をするようになりました。「こうでもいいかも」、「それもありだな」など、物事の前後で主旨が変わっていても良いという気持ちでいるようになりました。
 
「これは間違いかな」などの、正解を出したい気持ちや恥ずかしさが、少なからず僕にもあります。けれど、その気持ちが生じたことを感じたら、僕は冒頭の「自由である気持ち」を優先しています。ヘラヘラ笑って話せば、恥ずかしさも忘れていたりしますね〜。

素直な話

2013.5.18

思いついたことなんかを、僕はよくメモしていて、PC上であれば「草稿」として残しておきます。ここで話していることも、草稿の中から選んで載せることもあるのですが(手直しはします)、最近は、遅くなってもあまりしたがらなくなったなぁ。
 
おそらく、その動機として、今の気分とあっているものを探すのが面倒臭いという、物臭太郎の性質が働いて、結局、新しく書くことを選んじゃっているわけです。
 
何かね、拙くても、重箱の隅を突くようなことをしなくても、話せることはたくさんあるし、そうでしか伝わらないこともあるんだなぁ、と、ほんのちょっとだけ懐が深くなったような気がしているのです。
 
ガチガチに構築するのも好きだけど、抜きの強さも好きなんだなぁ、選べませんよ、人間だもの(なんてね)。