Archive for 2012.10
これしかやってこなかったことに気付いた
2012.10.18
経験した事柄の、最初に抱いた気持ちを思い出している。あの楽しさ、あの悲しみ、あの憎しみ、あの怒り……最初というのはどれも小さく、その後に交わってくるもので層になり、大きくなっていく。しかし、どれも同じ俺。帰るべき中心点はどの気持ちでも同じ……作品をつくることが楽しかった。それが、最初の記憶。
お金と医療を施され、一人で過ごすことを強いられた中、つくることだけを覚えた。その後、子どもや大人がいる社会に放り出され、馬鹿さ加減を利用し、お金と力を回すことを覚るのと並行して、怒りと憎しみを膨らませ、復讐を計画していた。この時、作品の声は遠ざかっていた。
しかし、つくることを続けるような生き方を、要所で選んでおり、幾度となく、救われてきた。そして、毎日つくる生活が始まり、再び作品の声が聞こえるようになった。それから、もう10年以上経っている。作品への、つくることへの、恩返しの時期に入っている。それに気付く頃、最初の気持ちを思い出し、どの気持ちでも全て自分であり、作品であったと感謝している。
経験した事柄の、最初に抱いた気持ちを思い出している。あの楽しさ、あの悲しみ、あの憎しみ、あの怒り……最初というのはどれも小さく、その後に交わってくるもので層になり、大きくなっていく。しかし、どれも同じ俺。帰るべき中心点はどの気持ちでも同じ……作品をつくることが楽しかった。それが、最初の記憶。
お金と医療を施され、一人で過ごすことを強いられた中、つくることだけを覚えた。その後、子どもや大人がいる社会に放り出され、馬鹿さ加減を利用し、お金と力を回すことを覚るのと並行して、怒りと憎しみを膨らませ、復讐を計画していた。この時、作品の声は遠ざかっていた。
しかし、つくることを続けるような生き方を、要所で選んでおり、幾度となく、救われてきた。そして、毎日つくる生活が始まり、再び作品の声が聞こえるようになった。それから、もう10年以上経っている。作品への、つくることへの、恩返しの時期に入っている。それに気付く頃、最初の気持ちを思い出し、どの気持ちでも全て自分であり、作品であったと感謝している。
作品のように 2012.10.7
美味しい名前
2012.10.2
制作、運動、昼寝、瞑想、食事会の組み合わせで日々が過ぎている。人と会うのは週一回ペースに落ち着き、時間がゆっくりと過ぎている。すると、好戦的な性格は影を潜めてくれるので助かる。
肩肘張る言葉を飲み込んだり、思い浮かべたりする必要もなく、ポジティブ言語が溢れる場は良い。しかも、ご飯やお酒が美味しいと気分は上々なのだが、名前を覚えるのが苦手なので、時間が経ったときの「何だこりゃ?」は治らない。
名前 —— 僕が、(戸籍も含めて)名前を持っている必要もないんだぜ ―― と考えているのも覚えられない要因なのだろうな。作品をつくるのに名前は必要なく、作品が視えるか、作品の声が聞こえるかが重要だ。僕は技術信仰のところがあるが、実際、名前で技術は扱えない。けれども、デザインだとそうもいかないから、名前を覚えられるんだけどね。畢竟、意識の問題なのだろうな。
制作、運動、昼寝、瞑想、食事会の組み合わせで日々が過ぎている。人と会うのは週一回ペースに落ち着き、時間がゆっくりと過ぎている。すると、好戦的な性格は影を潜めてくれるので助かる。
肩肘張る言葉を飲み込んだり、思い浮かべたりする必要もなく、ポジティブ言語が溢れる場は良い。しかも、ご飯やお酒が美味しいと気分は上々なのだが、名前を覚えるのが苦手なので、時間が経ったときの「何だこりゃ?」は治らない。
名前 —— 僕が、(戸籍も含めて)名前を持っている必要もないんだぜ ―― と考えているのも覚えられない要因なのだろうな。作品をつくるのに名前は必要なく、作品が視えるか、作品の声が聞こえるかが重要だ。僕は技術信仰のところがあるが、実際、名前で技術は扱えない。けれども、デザインだとそうもいかないから、名前を覚えられるんだけどね。畢竟、意識の問題なのだろうな。