Archive for 2011

たまにはね

2011.7.18

 今年の夏は男臭さ120%になりそうで、一夏のあばんちゅーるはない気配なのでマジFxxKなんですけど・・・と思いながら数年振りに写真のみのポートフォリオをしこしこ制作していたら、すごいかっこいいポートフォリオ(PDF)になっちゃったので「やばい、これってモテるんじゃね?!」って・・・でも、男率150%だからなぁ。興奮の中、某スウェーデンの大手家具店に行ったら、「ふざけんじゃねーよ!!」という子どもの声に「おじさん悲しいな」とツツツーの涙が。真ん中に亀裂が入ってしまった9年目の枕を新規の枕にしましたが、亀裂の入っている枕もなかなか使えそうなので、眠りを妨げにくる○○ヤロー用にとっておこうと思った。2日連続で中華料理を食べたら2件目で大量の中国人と相席・・・いや、店内の日本人が1人か2人かって、最後には俺を挟んで何語かわからん言語で話してやがる。最後に高級ファイル(あれって表紙が見えないし、高いし、何でみんな使っているの? 見てくれる善意? 安堵感?)は嫌なので、高級留め具とドリルで海の日が終わり・・・女っ気がなーい!! それでも負けるかー!

九相図

2011.7.13

 「九相図」が好きだ。そう言うと不思議がられるが、生きている状態から意識をなくし、死体となり、腐り、白骨化し、骨が砕けていく図は「死とは何か?」と考えさせてくれる。僕らは意識がなくなり、脈が止まり、息を吹き返さなくなったら「死んだ」と断定するだろう。もしくは、医師から「○時×△分、死亡確認」と言われたら「死んだ」とするのだろうが、その状態でも細胞は生きており、腐り、ウジ虫などの栄養となり、白骨化しても骨細胞はある。たとえ、跡形も無く消え去ったとしても、誰かの記憶にあったり、伝記などから新たに記憶されたりする。そして、「我思う、故に我あり」と所謂「生きている」状態でさえも全ては主観なのだから、誰かに思われる状態にあればそれは生きていると言えるのだろうか、などと疑問が生じてくる。もしくは、たとえ白骨化したり、「死んだ」と断定された状態であっても「意識がない」と周囲から思われているだけで、実は白骨化しても意識を持っていたらどうであろうか? 意識は脳の機能なのかもしれないが、脳が「なくなった」ら別の部分が「意識する」機能を持つようになっていたらどうであろうか? 脳の「意識する」機能がなくなる瞬間、最後に見たものにその機能を憑依させることをしており、ただ表意することができていないだけであったらどうであろうか? というような類いの疑問が、「九相図」を観ていると思い浮かんでくるのだ。いや、普段からそんなことを考えているのだが、より鮮明になってくると言った方が正しい。
 
 そして、この世の中は「もしかしたら」という可能性に満ち溢れているのだということを再認させられる。

雑記帳

2011.7.10

 6月の中頃にネタ帳兼雑記帳が切れたけれども、ラフ画や仕事のメモ帳として使用している「裏紙くん」を使えばいいやと思って買わずにいたら、こちらに書くことが滞ることに気付いた。忙しさも手伝ってなのだろうが、ネタ帳を使わない生活というのは考えがどんどん先に進んでしまって、いつの間にかひとりぼっちになっているのだ。自分しかいないのだから、何をしようと1人なのだが、ネタ帳に書き留めるというのは「ちょっと、お前さんお待ちになって」と止められて「じゃあ、茶の一杯でも・・・ついでにお団子も美味しそうだからもらっちゃおっかな」という小休止の役目があるようだ。どんなに大切な用件があろうと、急ぎ足で進み続ければ草履は擦り切れ、蹴つまずいてしまう。そうならないためにも、急ぎたいのは承知の上で、大事な考えであればむしろ休ませることが重要になってくるのだろう。そういえば、いつか読んだ脳科学かなんかの本にも「寝かせる」、「発酵させる」ことの大切さを説いてたな。
 
 それとは関係ないけれど、階段ですれ違って挨拶をしたおっちゃんに「あっついねー」と言われ、「あっついっすよー」、「暑くて死んじゃいそうだよー」、「溶けちゃいそうっすよー」と進みながら(相手が見えなくなっても)会話を続けた。階段に響く声が暑さと混ざり、こだまのようにも聞こえたが、「もう、6年になるんだな」と思った。夕方帰ってきて出会うばあちゃんには「おかえりー」と「ただいまー」とのやりとり。世間話や仕事の話、ここの人達は近所を超えるのか、それともこれが近所の在り方なのか。そういえば、朝霞もそうだった。現代だけれども、古いんだろね。

新規

2011.6.26

日々、写真のことを考えた結果

遊びの経験が変えたこと

2011.6.25

 今朝は晴れ間が見えていたが、今はもう雨が降りそうな気配だ。雲を眺めていると「よくもまぁ、飽きもせずに流れるね〜」と思いたくなるが、同時に刻一刻と変化する雲に心を奪われているのも事実だ。
 
 展覧会を1つ観に行って収穫もあったのだが、それ以上に、会場を出て階段を降りようとしたときに母子に道を譲ってもらったことの方が心に栄養を与えてもらった。『虫眼とアニ眼』で宮崎駿さんが「今の若い人はなかなか子どもを作らないから、いつまでたっても自分のために作品を作ろうとする」、「近所の子どもたちが喜んでくれるように作る」というようなことを話していて(言い回しは違うと思うけれど)、とてもよく理解したことを記憶している。僕も自身の子がいるわけではないが、周りに早婚なども多かったのか、子ども達と遊ぶ機会がちょくちょくあるし、あった。そのことが僕の作ったものを見せるときの態度に大きく変化をもたらしたのだが、やはり、この世の中だ、藝術と呼ばれるものぐらいは、触れた時に「生まれてきてよかった」と感じて欲しいのだ(「生きていてよかった」ではなく)。それは、数値上で表される子どもの数ではなく、直接的に遊ぶ子ども達のことを念頭に置いている。
 
 それは、美術業界においては異質とされる態度なのはわかっているし、ということは(計測していないけれど)絶対数では僕は少数だろう。しかし、絶対に僕の方が強い気がするのは何故だろうか。勝ち負けで言うことでも、何をもっての勝ち負けかはよくわからないが、負ける気がしない。
 
 やはり、今日の収穫は展覧会よりも母子との出会いだ。