Archive for 2009

真実記

2009.3.4

搬入作業がほとんど終ったら、すぐに次の作品が待ち構えている。溜まっていた雑務を片付けている間に頭を切り替えて、さぁ取り組もう!というところで・・・ガガガガガガガガガ!ガガガガガガガガガ!!

??????????・・・!?

そう、本日から隣が改装するとのことで昨夜、業者が挨拶をしにきたのだった。そして改装工事が始まったのだった。

久しぶりにヘッドフォンを装着しての創作なのだけれども、インターフォンやら電話やら何もかもに気付かない始末で、これはこれで少し愛想の悪い人になっていないかい?と心配になる。一応、社会人なので。
それと、業者の方が来てくれたときに室内で作業をしていることが多いことを告げたためか、はたまた管理人さんが隣は写真家さんだよと告げてくれたのかはわからないが、思っていたよりかはうるさくない。

話は変わり、家には漫画が2冊ある。「バクマン。」の2巻が出たので、当たり前のように増えてしまいました。昨夜、業者さんから頂いたナボナ?を片手に、「バクマン。」を読み、疲れたときのコーラを飲みながらの、保存完了待ち。何度かPhotoshopの限界を超えたらしく、機械に「がんばれ!」と気合いを送る。炭酸飲料が苦手な自分が炭酸飲料の代名詞、コーラを飲むということは疲れている証拠でもある。26年半生きた真実とでも言いましょうか。

1:28

2009.3.3

搬入作業が終了しました。正確にいうと、初日に一冊ポートフォリオが増えるのでまだ終了ではないのだが、壁面部分は完成しました。三木さん、秦さん、そしてマコトさんありがとうございました。

おそらく、あっけないほど多くの印象を裏切っている内容になっているでしょう。それは初日に増加される一冊を加えることで格段にその性格は強まります。主要な裏切り内容としては、「1.エグチマサルの作風」「2.Barという場所での展示」「3.大判出力の使い方」「4.新宿系写真、現代美術系写真、カルチャー系写真の区分」「5.色の範囲と概念」などが挙げられると思われますが、僕が藝術家に必要な能力に「美しさを判断する能力」を第一に挙げていることが全ての問いへの解答になります。

それで、搬入を手伝ってくれた秦さんが早速感想文を書いてくれた( http://hatataha.exblog.jp/ )。1つ違うとすれば、僕は「真実」という単語の意味の幅が狭いということだろう。僕にとっての「真実」と「真理」が、彼の感想文中には「真実」という単語に集約されているのだ。それ以外の文章は妥当な部分を言っていると思えた。

と言いつつも、この3日間怒濤のさらに上をいくような状態で尚且つ、本日(先ほど)帰宅したら隣の隣の方が僕の家のベランダに猫が行ってしまったとのことでチャイムを鳴らし、その方を家にあげての今なので、より精度の高い状態ではないと予測しているのだが。とりあえず、猫は無事に戻ってきたようなので良かったということと、僕が帰宅してすぐにチャイムが鳴ったということは起きて待っていたということだろうから少し悪いことしたかな、という気持ちがあるということ。

そして、大学時代の先輩の子ども(名前は秘密)がとても優しい子なのだということだ。

藝術家の信用度

2009.2.26

展示用の出力の追い込みもようやく一段落つき、後は梱包と配送、そして当日の出力分のみ。

ある企画のために創作される作品のデータを受け取るまでは、その他の作品に取り掛かります。
それを受け取ったらつきっきりになることは十分予想出来るので、今のうちに別のことをしていなければならない。けれども、これはかなり楽しみだ。

最近、DMが届き始めたことも重なって、嬉しい言葉や激励の言葉をかけていただく。本来、藝術家の信用度・価値なんていうものは、作品を創ることのみで良いはずであり、けれども昨今では創作とは関係のないことを信用度・価値を計る尺度にしているように思えて仕方がならない。最近では僕が作品中心に物事を考えていることを知って頂けていることがあるようで、会話においても、活動においても多くの人にかなり助けてもらっている。

それならば、そろそろその決意を表明し、作品への創作と展示などの活動に今まで以上の畏れと責任感を抱く時が来たのでは、と思い、DMに同封したステイトメントが生まれたのです。

これだけでは語弊が生じやすいかもしれませんが、作品と作家が動くことによって皆が考え、行動に移すことになれば幸いです。

日常という名の作品

2009.2.25

「日常について知りたい人がいるかもしれないよ」との言葉を受けたので、日常のことを書こうと思っている。

日常というと、僕は大抵、作品を創作していたり、それに付随するようなことをしている。ストレッチや料理もそうだが、ベランダで惚けていることも作品に関わっていることがほとんどだ。
昨日は少しギャラリーを周り、最後にMAYAというギャラリーで開催している遠藤拓人さんの個展「侘助」を観に行き、その後、拓人さんとさし呑みに韓国料理屋にいく。分野は違えど、つくる領域で働いている人で、2、3年ぐらい前に出会った。それでも酒を飲みかわしながら話すのは初めてであり、僕は少しばかりの緊張感を抱きながらと間合いを計っていた。けれども、ある程度いい歳の成人が話しているので、より語弊がないように伝えることを考えながら話をし、且つ、そこで生まれた時間というのが、僕には意義があった。度々、脱線をしながら、その遠回りも作品の話に還ってくるので、僕にとってはやはり、作品に関わる日だったのだ。

「日常のことを書く」と述べながら結局は作品に戻ってしまうことが、「作品に支配されている日常」というのであれば、僕はそれでも構わないとさえ考えている。「作品から離れる時間が必要なんじゃない?」という言葉を掛けて頂くことも稀にあるし、自分でもその時間が必要かなと思うこともあるが、それで実際に別の仕事を入れ始めても、それは作品のためになってしまうので、やはり、どう動こうとも作品に支配されているのかもしれない。おそらく、その状態を不愉快に思わない限りは。

今は作品を信じているからこそ、このような生活態度になってしまうのだろう。このブログから作品とは関係のない日常を知りたい方がいらっしゃるのであれば、少し申し訳ないです。

※ 遠藤拓人さんの個展「侘助」
  ギャラリーハウスMAYA(北青山)
  2月23日(mon)〜28日(sat)
  詳細: http://takuzoh.jugem.jp/
  オリジナルストーリーのお話に絵を合わせた個展です。
  僕は「二人の侘助」が好きでした。

美しい作品が根底にあって・・・

2009.2.22

やはりここ2週間、いや、1ヶ月ほどひっきりなしに人と会っている。それは昨年末から怒濤のようにそうで、しかも初対面の方々が多い。すると、僕の活動理念のようなものを毎回話すので、自分の中ではその行為が繰り返されている。しかし、「繰り返されている」とはいったものの、実際はその中で今まで気付いていなかった事柄などにも視野が深まったりされている。

だから初対面よりも2回目、2回目よりも3回目の方が、深まって行く速度が上がっている。この怒濤のような日々の中、「もう一度会いたいな」や「今度はさし呑みで会いたいな」という人や、「あの人たちにこの人を紹介したいな」と思える人たちがいる。

今はDMに同封しようと思っているステイトメントを印刷しているのだけれども、「100枚ってこんなに(時間が)かかったっけ?」と思いながら、この文章を書いている。

閑話休題、そのような人たちと邂逅する機会が年々増えているので、今後も楽しみに思えてしまう。そこには、作品という根底があって、尚且つ、「美しい作品」を創るという責任と畏れを増幅させるのだけれども、この「責任と畏れ」によって緊張感を保ちつつ、楽しむことができているのだろうと考えている。