Archive for 2008.5

再び良書

2008.5.11

『美学辞典』つながりで、佐々木健一氏の『美学への招待』を読む。その間に『脳ってすごい!』という本も読み終える(キャッチー過ぎる題名からかなり眉唾で読んだが、図版もあって門外漢の自分でもわかりやすいものだった。けれども少し情報が古いように思える)。閑話休題、かなりの良書だ。おそらく読む順序は逆なのだが(『美学への招待』→『美学辞典』の順が好ましい)、この道に少しでも(足の爪の先でも)関わってしまっている人で、「知識とか何にもないしぃ〜」などとほざけている御方は読むべし。読んでから疑うことは如何にもできるので、読まれるべき本かと。

しかし、このような著書を読んでいると、「芸術は死んだ」という類いの言葉がでてくるのだが、その度に絶望的な気分に陥る。2月あたりから個展資料のために芸術史や美学についての著書を読み返したりしているのだが、「芸術は死んだ」という文章を知覚すると同時に絶望が私を圧し潰す。一方、「アートは死んだ」という言葉にはあまりそのようなことにはならず、日本語の(カタカナ表記の)「アーティスト」や「アート」という言葉はそれが包含する職域や意味が曖昧すぎるため、以前から使っていなかったのだが、「芸術」と「アート」についても論じられており、その違いがよくわからないという方も読むべき本である。内容は秘密。

キャベツ

2008.5.7

制作と資料作り。『美学辞典』を読んでからここでも創造と書いた方が良いのかなと思いつつ、一般的には製作・制作・創造の弁別はほとんどなされていない。コンセプトなどを読ませて頂いて製作という文字を使用しており、そのつもりで作者と話してみると全く違う姿勢であったり、求めているものが異なっていたりと、言葉の使い方が違うだろとツッコミをいれたくなることが多々ある。
言葉は重要だ。なぜなら、我々は人間だからということに帰結されるわけだが(詳しいことはここでは割愛させて頂きます)、だからといって芸術において知識が中核に据えられるべきかというと、そうではないと思っている。必要だが、中心ではない(はずだ)。

優しいものが食べたくなったので、梅干し、生姜、カツオ出汁でキャベツを煮た。美味。そういえば、味覚にも「美しい」という文字が使われる。逆に「味わう」という言葉も視覚分野で使用される。

再び、そういえば、大学時代の友人(一応後輩なのか?)が就職しました。おめでとうございます。

トレンディー年齢

2008.5.5

「ギフトⅡ」の1枚を仕上げ、「Photo/Graph シリーズ」の新作の下地塗り、そして個展資料の作成。着々と進んでおります。腕が痺れております。
結局、『統合心理学への道』も買いました。本は写真集や画集などのように眼に焼き付けることはできないので、仕方がない。眼という感覚受容器がもつ記憶力が耳などのそれとは比べ物にならないほどの強さを持っているということを知ったとき、「あぁなるほど」と思った。そのせいで(ホントか?)視力は低下していく一方だけれども、この分野の人々はあまり視覚というものを信じていないように思える。それは知らないということからのものなのか、人間の記憶力が実は当てにならないということからくるものなのかわからないが・・・(勿論、過信は禁物)。

この後、夜から友が産まれたことを祝う日でしっかりと祝ってきます。
以前、別の友と「俺たちって昔やってたトレンディードラマにでてくるような年齢になってんだよな」という話をした。玄関先で一悶着、キッチンでまた一悶着、会社でまたまた一悶着。恐ろしすぎる。