Archive for 2008.4
なぜあんなに笑顔がキラキラしているのですか?
2008.4.16
今週は打ち合わせや何とかやらでけっこう動いた。まだ水曜です。
昨日は久々に会う友人やらなんやらで帰宅後泥のように眠る。資料用の複写をどうにか進めたかったので途中で帰ってしまいごめんなさい。そのおかげで複写も全行程の半分ほど終わり(卒業すると機材も借りれなくなるのが痛い)、部屋の混沌具合も一段落。
そして、昨日だけで3つの場で似たような内容の話をしていて活(×生 ○活)きることやら何とかやらの話でした。「ギフト」シリーズから知る人もそれ以前から知っている人も似たような印象を抱いているようで、時と場所を超えて(大袈裟だ)の概念が生まれているのはなかなか面白い。
これから下地塗りですよ。タイトルは、昨日、休憩で入った初台の某ファーストフード店での店員さんへの印象です。なぜあんなに・・・。なぜ?!
今週は打ち合わせや何とかやらでけっこう動いた。まだ水曜です。
昨日は久々に会う友人やらなんやらで帰宅後泥のように眠る。資料用の複写をどうにか進めたかったので途中で帰ってしまいごめんなさい。そのおかげで複写も全行程の半分ほど終わり(卒業すると機材も借りれなくなるのが痛い)、部屋の混沌具合も一段落。
そして、昨日だけで3つの場で似たような内容の話をしていて活(×生 ○活)きることやら何とかやらの話でした。「ギフト」シリーズから知る人もそれ以前から知っている人も似たような印象を抱いているようで、時と場所を超えて(大袈裟だ)の概念が生まれているのはなかなか面白い。
これから下地塗りですよ。タイトルは、昨日、休憩で入った初台の某ファーストフード店での店員さんへの印象です。なぜあんなに・・・。なぜ?!
出不精
2008.4.13
制作に必要なものがネットで注文できるようになったので出不精に拍車がかかる。そのため、卒業後、全く人と会わないようになるかと思っていたら毎週だれかと会っている。今日も予定があって大学時代の友と・・・って、そしたらその人から借りるデジカメを忘れたとのことなので、急遽、明日も会って飯を食べようかということに。
ちょっと時間を持て余すことになったので、日曜の渋谷を散歩。いくつかの企画展を見るが・・・そのどれもが美術もしくは写真に関する知識や教養もった一部の人の方が楽しめる作品であり、楽しめた反面、嫌気がさす。
その後、本屋で『統合心理学への道』を立ち読みし、必要な感じがしたが、値段をみて買うことを断念。誰か贈ってくれないかな。欲しい写真集もけっこう値段がはる。
帰宅後、明日の打ち合わせのための資料を作成のための資料読みと資料作成。午前〜昼間は水ばり。最近、けっこう脳がスパークしている。
制作に必要なものがネットで注文できるようになったので出不精に拍車がかかる。そのため、卒業後、全く人と会わないようになるかと思っていたら毎週だれかと会っている。今日も予定があって大学時代の友と・・・って、そしたらその人から借りるデジカメを忘れたとのことなので、急遽、明日も会って飯を食べようかということに。
ちょっと時間を持て余すことになったので、日曜の渋谷を散歩。いくつかの企画展を見るが・・・そのどれもが美術もしくは写真に関する知識や教養もった一部の人の方が楽しめる作品であり、楽しめた反面、嫌気がさす。
その後、本屋で『統合心理学への道』を立ち読みし、必要な感じがしたが、値段をみて買うことを断念。誰か贈ってくれないかな。欲しい写真集もけっこう値段がはる。
帰宅後、明日の打ち合わせのための資料を作成のための資料読みと資料作成。午前〜昼間は水ばり。最近、けっこう脳がスパークしている。
2008.4.7
マイコミジャーナル内の飯沢耕太郎さんのコラムに、2月に富士フィルムフォトサロンで展示をした作品を取り上げてもらっています。
写真学生時代の集大成 – 卒業制作(3)
http://journal.mycom.co.jp/column/photologue/006/index.html
是非お読み下さい。
そのコラムの中で吉江綾乃さん『存在証明』がいいなと思う。岡田敦さんの作品も好きなのでそういうことなのかもしれない。センチメンタルな部分、つまり感情の部分と上手さが存在している作品は貴重だ。背中とか、指の鬱血具合とか美しいなと思う。
話は変わり、バーニッシュをかけるために部屋の掃除をしていたら隅々まですることになってしまい、というか手が勝手に・・・学生時代のテスト前になると部屋の掃除を始めるというようなもんです。途中で友に招待してもらった森山良子さんのコンサートに行きました。森山さんはとても歌で、ジャズで、生涯現役なパワーが溢れていた。とてもカッコイイ人だ。
そして今日も掃除が続いていて、手紙が出てきたのです。僕は手紙を捨てられないので溜まって行く訳ですが、なかには某ブランドのクリスマスカード(?)に「にゃあ」と鳴いている虎(猫?)だけが描かれている手紙なども出てくるのだ。誰だ?そして、じいちゃんからお年玉をもらったときに一緒にもらった手紙とか。じいちゃんはもう亡くなってしまい、もう手紙を書くことはできない。それは事実だ。しかし、僕の手元にはじいちゃんが書いたとされる手紙があり、それを持っていなかったと想像したときよりも強い繋がりのようなものを感じるわけだ。これはとても幸福なことだったな、と思った。
絵具の乾きが良くないのでバーニッシュはかけられず。
マイコミジャーナル内の飯沢耕太郎さんのコラムに、2月に富士フィルムフォトサロンで展示をした作品を取り上げてもらっています。
写真学生時代の集大成 – 卒業制作(3)
http://journal.mycom.co.jp/column/photologue/006/index.html
是非お読み下さい。
そのコラムの中で吉江綾乃さん『存在証明』がいいなと思う。岡田敦さんの作品も好きなのでそういうことなのかもしれない。センチメンタルな部分、つまり感情の部分と上手さが存在している作品は貴重だ。背中とか、指の鬱血具合とか美しいなと思う。
話は変わり、バーニッシュをかけるために部屋の掃除をしていたら隅々まですることになってしまい、というか手が勝手に・・・学生時代のテスト前になると部屋の掃除を始めるというようなもんです。途中で友に招待してもらった森山良子さんのコンサートに行きました。森山さんはとても歌で、ジャズで、生涯現役なパワーが溢れていた。とてもカッコイイ人だ。
そして今日も掃除が続いていて、手紙が出てきたのです。僕は手紙を捨てられないので溜まって行く訳ですが、なかには某ブランドのクリスマスカード(?)に「にゃあ」と鳴いている虎(猫?)だけが描かれている手紙なども出てくるのだ。誰だ?そして、じいちゃんからお年玉をもらったときに一緒にもらった手紙とか。じいちゃんはもう亡くなってしまい、もう手紙を書くことはできない。それは事実だ。しかし、僕の手元にはじいちゃんが書いたとされる手紙があり、それを持っていなかったと想像したときよりも強い繋がりのようなものを感じるわけだ。これはとても幸福なことだったな、と思った。
絵具の乾きが良くないのでバーニッシュはかけられず。