Archive for the ‘心の健康’ Category

かなしみを、感じていない。

2019.5.29

瞑想中に「そういえば最近、かなしみを感じていない」と気がついた。
感動して泣くことはあるし、ムカついたり、怒ったりすることも、爆笑することもある。
けれど、「かなしみってどうだったっけ?」と、かなしみについて忘れるほど感じていないのだ。
気だるさも、面倒臭さも、やるしかねーという気合いもあるけれど、かなしみだけ、感じていない。
別に何か問題があるわけじゃないんだけど、何かをポッコリ失っているような。
 
理由を探っていると、歯列矯正のワイヤーが影響してそうだ。
下側のワイヤーは表側についていて、装置の付いていない前歯四本を跨(また)ぐように設置されている。
このワイヤーが、下唇を常に圧迫し、軽いしゃくれのようになっている。
これに意識を持っていかれる。
 
爆笑したり、怒ったり、感動しているときは、このワイヤーの圧迫感は忘れている。
ということは、「かなしみ」は、この圧迫感を超える感情ではないということか。
性質なのか、量なのか、超えていない事実だけが横たわっている。
この感覚は、忘れない方がよさそうだ。

薯蕷饅頭

2019.5.15

大学の頃、都電沿いの甘味処にあった饅頭百科。
その中に掲載されていた薯蕷(じょうよ)饅頭が気になって、下諏訪まで買いに行ってからの好物。
当時から小麦の代わりに山芋を使った生地が好きだった。
最近、たまたま知った虎屋の薯蕷饅頭。
もう食べたい!ってことで、買いに行っちゃた。
 
おそらく何度かここでも書いているが、こういう「ちょっとお高めのお菓子の時間」は大事だ。
その時間は、和菓子でも洋菓子でも必ず持っている。
甘けりゃいいっていうときはもちろんあるけれど、しゃんとしたお菓子は、時間を緩やかにしてくれる。
お茶を淹れたくなるし、腰を落ち着けて、一つひとつを食べながら、これを取り巻く空気感も味わいたくなる。
だから、こういうお菓子を、ながら食いしてしまう状態というのは、そのときの状態から脱した方がいいサインでもある。
結局、雨の中、これを買いに六本木まで行った。
帰ってきて、一人で食べたり、妻と分けて食べたり、時間が緩やかに流れた。
 

付き添いという予定。

2019.5.5

土曜日は変な日だった。
うちの母から妻が譲り受けた婚約指輪のリメイクの打合せへ、メデルジュエリーさんに妻と一緒に行って、その後、妻の靴を買いに、ナオトさんへ行った。
過去にメデルジュエリーさん(恵比寿店)ではピアスを買い、ナオトさんでは革靴を買ったことがあるので、ぼくとしては慣れたものだ(なぜか得意気)。
浅草駅付近でカツ丼を食べて、歯を磨き、メデルさんに向かって、てくてく歩く。
打合せの後は、ナオトさんへ。
今度は浅草から蔵前へ、てくてく歩く。
休憩で川を眺めながらカフェラテを飲み、また、てくてく歩く。
メデルさんでもナオトさんでも、真剣な喜びを体中から溢れ出しながら、お店の人と話をする妻を横目に、外の景色を眺めたり、店内を物色したりする自分。
カレンダーに予定を入れていたが、当事者感ゼロの、完全に妻の付き添いだ。
けれど、つまらなくはなく、居心地のいい店内と日差しの中で、惚ける阿呆になれるのは、むしろおもしろかった。
付き添いという予定もあるんだと知った、令和のはじめての土曜日だった。

呼吸のようなもの。

2019.5.3

結局は手書きなんだなぁ、と思いました。
絶賛GW中の間は仕事はしないと、なんとなしに決めてから、妻が仕事じゃないときは一緒に出かけて、一人でいるときはデッサンをしています。
「ん?デッサンをしているってことは、仕事じゃないの?」と疑問を持つ人もいるかもしれません。
なので、訂正します。
GW中は頼まれ仕事を進めない、が正しいですね。
ただ「デッサンが仕事か」と聞くのは、「呼吸は仕事か」と聞くのと一緒なんです。
アートもデザインも、ぼくにとっては呼吸と同じです。
意識しなくても手が動くものです。
脳が動くものです。
反射のように思考されるものです。
「呼吸がしにくいなぁ」と感じるように、悪いものに違和感を感じます。
「空気が美味しい」と感じるように、良いものに美しさを感じます。
そういう呼吸のようなもの、あなたにもあるでしょう。

つなげるのはおまけ。

2019.4.27

ふと思った。

「つなげるのは、おまけでいいんじゃないか」

ちょっと大げさに言ってしまうが、世の中は空前の「つなげるブーム」なんじゃないかと思った。
シェアや拡散は機能として完全にそうだが、人を紹介することがビジネスになってしまうこと、また、それが人としての価値になってしまうこと。
食物や地球環境の話になれば自ずと「つなげる」という話題は出てくるし、出さないで話を進めると、持続可能性を無視したことになりそうで、どこかバツが悪くなりそうだ。
人々の過ちを直して、いい部分を「つなげる」なんてのも、戦争関係で言われている。
「未来につなげる」なんて無味無臭のキャッチコピーも、至る所で使われているだろう。
ぼく自身もそんなことを言ったことがある。

だけど、ふと思った。
ここに挙げた話をするとき、全員、笑って話していないじゃんって。
そりゃそうだ。
「つなげる」ことを前提で話したら、話している自分は脇役になり、つなげる相手が主役になる。
こんなことを常日頃から繰り返していたら、毎日がつまらなくなって、つまらないことを繰り返している自分をフォローするために、真面目な顔して話さなきゃ居心地が悪くなる。
この場合のフォローは、つまらない自分をつなげるためか。
上記に挙げた話題は、全部立派そうに聞こえるけれど、こういう話をする人たちのことを、つまんなそうに話す人だなーと思っていた。

それでわかった。
「お前の人生はお前が主役。つなげるのはおまけ」
もっと楽しめ、ってことだ。