Archive for 2011.10

夢の話

2011.10.30

 昨夜、長い時間をかけて贅沢な夢を見た。
 
 地元の旧友やその他、知らない人達との海辺の花火大会。地元の催しなのだろうか、3段になっているパイプ式のベンチを4〜5つぐらい埋める程度の人数。だいたいが家族連れで、その中には既に他界してしまった人達の姿も年齢を重ねた姿であり、笑っていた。
 
 始まるまで時間があるようだったので、僕は誘われた友人に連れられて縁日を歩き、そこでも胡散臭い店を開いている友がちらほら…道中の会話もほとんどが下世話なものばかりで皆、よく笑っていた。
 
 そして、遂に始まった花火大会。間近で打ち上げられる花火は耳にも胸にも振動が伝わり痛かったが、1つ、また1つ打ち上げられる度に歓声が上がった。花火からの振動に慣れ始めた時に、ふと、「打ち上げているのは誰だろう」と疑問に思ってそちらへ視線を向けると、もう会えない人が仕事をしていることに気付いたのだった。
 
 そこで目覚めたのだが、幸せな表情だった皆の顔を見て安心した。あっち側の話だろうと、無意識の欲望の話だろうと、夢を見たことに感謝をした。

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影響を受けた人

2011.10.30

「影響を受けた人」を挙げなければならないとき、必ずと言っていいほど言いそびれている人達がいる。その人達は毎回異なるので、話しが終った後に思い出すと少なからず後悔が生じる。しかも、その話がメディアに載ってしまう場合、挙がった人達のことは僕の作家としての背景と認知されて、僕が挙げることを忘れてしまった人達のことは認知されないということが起きるので、「ごめんね」という気持ちを少々抱く。

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トークショーのお知らせ

2011.10.21

22日(土)17:00から伊藤俊治さんを交えてのMP1トークショーが、新・港村(スペースDのカフェ周辺)で催されます。藝術の秋、観る・体感するだけではなく、聞くことも楽しんでいただけたら幸いです。

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意志からケアへ

2011.10.17

ロゴやVIに関わることを制作するとき、対象が出発点に立つまでの意志が重要になる。その意志の部分を知ることが出来れば、残るは出発点からスタートするときにベストコンディションになるようにケアするだけだ。しかし、ケアを間違えれば、この先のマラソンを走り切ることは難しくなってしまう。

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タイムマシーンの現在

2011.10.16

 母校の写真学校で作業と大判出力。卒業してから何年になるのだろうか? けれども、卒業してからの方が職員や先生方の対応が柔らかい(そりゃそうだ)。いつの間にか宣伝してくれていたり、話し方が柔らかくなっていたり…僕は「何故、あんなに尖っていたのだろう?」と疑問に思うような学生だったと思う。その尖り方は若ければ若い程、鋭かったように思われる。
 
 仮にタイムマシーンが完成して、過去の自分と会えるとしたら、僕はその少年を抱きしめて謝りたい。「辛い生き方をさせてしまってゴメン」と伝えたい。「人は人を憎む必要がない」ということを知らせたい。そんな当り前のことに気付くのに20年以上を費やし、それまでの間、多くの人達から多くのものを奪い、結果、自らへの憎しみを膨らませてきた。そんな生き方を選んだのは自分であるが、そんな必要がないことを早いうちから気付かせたあげたかった。

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夜の出来事

2011.10.10

 銀座で呑んでいて、終電間際を走り込みギリギリセーフを狙ったら財布を落としたことに駅で気付き、全てを諦めた。「まぁ、しゃあないか」と面倒臭さ混じりに交番に行き、紛失届を書いたら、「じゃあ、次は受け取りのサインをね」と言う警官。「?」ときょとんとしていると財布を持って現れるじゃありませんか!? あまりの叫びっぷりに警官も驚き、呆れ顔だが、拾って下さった人はお礼をいらないとのこと。こういう時って本当に何も教えてくれない…しかーし、お礼をしたいじゃあありませんか!? とりあえず、「他人に優しくすること」が、いつの日にか拾ってくれた人へと循環するだろうと思ったのだった。
 
 一日休んで(5年振りぐらいに漫画喫茶に泊まったら、身体が痛い…)、浅草へ。誘われた加藤さんはいないけれど、別の加藤くん(だいちゃん)と久し振りに遭遇。別れた後に、別件で打ち合わせがてらの呑み。屋台で話をしていたのだが、こっちの話の内容が隣客にも移り、話の種類が伝染していくのは面白かった。このまま店中に伝染していき、客の全てが話を共有出来たら、平和なんじゃないかと夜の浅草で思っていた。

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最後の最後には

2011.10.6

 多種多様な道具を使い、多岐に渡ることをして、他業種の方々と会っていてもプラスに変えることが出来るのは、一切の道具がなくなれば大地に絵を描けば良いことをわかっているし、手足が動かなければ頭の中で作品を創れば良いことをわかっているからだ。複雑な行いをしていても、考えがシンプルであれば大丈夫なのだ。
 
 
 それよりも心配になるのが、高校生や大学生と話していて、彼らの言葉が「大人からの入れ知恵」のような手本通りの回答を、何も疑わずに純粋な目で言えているということだ。そして、「完璧」であることを求め過ぎているように見受けられるのだ。ゴールとそこへ辿り着く方法論が分かった上で、ゴールに辿り着くという意味で「完璧」という言葉を使っているのであれば頷けるが、どうやらゴールにならないあやふやなところに完璧さを求めているようなのだ。それ故、大人が少しいじわるな質問をすると、途端に自信をなくしたようになるのが、先の彼らの発言が自分の言葉として言えていないかという証明になっているというのに。けれども、そういう子に限って優しいし生真面目なのだから、「大変だろうな」と人の子ながら気になってしまう。
 
 

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人と…

2011.10.2

 今週は、人「と」生きることについて考えることが多かった。たとえ誰とも会わずに生活をしていても社会に属していれば、間接的にでも人と関わることになってしまう。ただ今回は直接的に関わることについて考えを巡らすことが多かった。PCに関わる全てのことの師匠と呼べる人と離れる時に、Macを更に安定させる「おまじない」を教えてもらい、最後の最後までお世話になりっぱなしで僕は彼に何を返すことが出来たのだろうかと…その他にも色々と重なり、「人と一緒に生きること」について考えることが多かったのだ。
 
 しかし、行き着く所がいつも「作ること」になってしまうのだった。物心ついた頃から「作ること」と「内省」を繰り返し、今や呼吸をするのと同じ位、当り前のことと化してしまったこと。極度の面倒くさがりの自分が日々の面倒臭いことも行えるのは、作ることに関わってくるからだったり、人と話をしていても最終的には作ることに結びつけていることが多い。それほどまでに身に付いてしまった「作る」という行いは、そうではない環境へ自分を向かわせないという一面もあるのだが、
 
 しかし、これも子どもの頃から身に付いている「物事に優先順位をつけること」の習性によって、「作ること」が最上位にきてしまうのだった。
 
 今の繰り返しが未来を創るが、果たして、この先に何が出来、何があるのだろうか。

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