Archive for the ‘日々のこと’ Category

もっと、もっと、頑張りたい。

2018.6.16

土曜日ぐらい、愛のある話をしたいと思いました。
愛のある話。
 
『土屋耕一のことばの遊び場––回文の愉しみ』を読んでいて、和田誠さんと土屋さんのピースの仕事を読んでいて、ちょっとね、胸がじんわりと熱くなりました。
ピースというのは、たばこの銘柄なんですが、和田さんのイラストレーションと、土屋さんのコピーライティングが、絶妙に掛け合っているんですよね。
それは、当時を知らないぼくでも、後に知ることになる広告です。
伝説的な広告、と言いたい。
 
この一連の広告について、和田さんがコラムで、少しだけ触れているのです。
たった二行の言葉を、楽しみに待っていた、と。
字数の揃ったプロの仕事を、楽しみに待っていた、と。
(コラムの文章はもっと素敵です)
 
プロであること。
プロとプロの掛け合いのような、遊びのような、真剣勝負のような、楽しくも厳しい遊びを、現場を知らないぼくでも想像しちゃいます。
知らないから想像するんですけどね。
 
でもね、勝手なことだけど、こういう話を聴くと、「もう、誰も死なないで欲しい」って身勝手に思っちゃうものです。
素敵な、素敵な仕事振りを、もっと残して欲しいと思っちゃうんです。
もっと、もっと、ぼくも頑張らないといけないなー、と思います。
これは、愛のある話というか、熱い話かもしれませんね。


機微のわかるデザイン事務所。

2018.6.15

Sunpono(サンポノ、というか江口)が、他のデザイン事務所よりも、圧倒的に長けていると思われる点を考えてみました。
「ヒト、組織、社会の面倒くさい立場を理解して、アウトプットをする能力」に長けてます。
 
これ、悪い言い方をすれば、腹黒いってことじゃねーか!?
昔勤めいた会社の師匠や社長から「考えているヒトは、腹黒い」「江口は考えているから平気」と言われてたけど、完全に腹黒いってことじゃねーか!?
まぁ、しゃあないか。
ヒポクラテスの誓いの、職業倫理はあるはずだし。
お客さんとは信頼関係の上で、仕事をさせてもらっているし。
 
それはそうと、ヒトの面倒くさい立場というのは、不安や欲望に由来します。
ヒトの不安や欲望が見えれば、ヒトの集合体である組織や社会の不安や欲望も、見ることができます。
見えたら見えたで、依頼人に、それを柔らかく伝えるのって、けっこう、大変な仕事なんです。
 
けれど、こういう仕事に長けているヒトって、昔はどの会社にも、ひとりはいたんじゃないでしょうか。
もう、かなり昔に協力した会社に、話し方は堅くなく、むしろ笑っちゃうような話し方で、しかも、自社の製品のこともあまり把握していない、おっちゃん(ほとんど、おじいちゃん)がいました。
 
なにが驚くって、このおっちゃん、ややこしくも大事な契約を取ってくるんです。
「ここは落とせない」という仕事を、ちゃんと成果を上げてくるんです。
それ以降も、数々のおっちゃんたちと、仕事をしていて気づいたのです。
 
定年間近のおっちゃんって、こういった機微に関することに長けている。
 
一方で、おっちゃんがいない会社には、理想論が溢れやすいです。
理想は理想のままなら、綺麗事でしかない。
 
汚い部分や情けない事情も含めて生きているのが、ヒトってもの。
それは、ヒトの集合体である、組織や社会も同じことがいえます。
だから、理想論だけだと、子どもじみていて相手にされません。
つまり、取引にならない。
それは、政治でも同じです。
機微というのは、数字では出てこないのです。
数字になる前に、ヒトは仮面をかぶります。
 
数字が正義になる現場に遭遇すると、あの、おじいちゃんのようなおっちゃんのことを、思い出します。


泥臭く、情けなくも、変わり続ける。

2018.6.14

立派なことは言えない、と思いながら、いつも話しています。 
世の中に溢れている言葉は、「こうしたら上手くいった」「こうした方がいい」「こうしないと上手くいかない」というものばかり。
でも、場所と人とタイミングによって、それらの通り、コトが運ぶなんてことはないんです。
あくまでも、すべてのモノゴトは、経験則から対応するしかない。
 
どんなに立派なことを言ってたり、業績を上げていても、死んじゃったら、別の人が代わりに立つだけです。
それは会社だって同じ。
会社の商品が、世界1位のシェアを誇っても、会社が倒産したら別の商品を使うだけです。
 
だから、ぼくらは変わり続けなきゃ、生き残っていけないし、今日変わった分だけ、昨日言った「上手くいく話」も変わってるはずです。
結局、泥臭く、情けない姿をさらすことになっても、変わっていくしかないんじゃないかな。
これは、ぼく自身にも、言えることです。
 
変わり続けることが、唯一の変わらない本質なんだと思います。
前川清さんの歌を聴いて、「情けない姿」を「そうだよね」と言える自分がいることに、気がつきました。
これからの時代に、必要な歌なんじゃないだろうかと思っています。


説明が奪うもの。

2018.6.13

年上の方々が、「広告がつまらなくなった」と話しています。
一方で、「デザインは経営に必要だ」とも言われています。
このときのデザインは、クリエイティブも同じ意味です。
両方の人の話を聞く現場にいたことがあって、両方とも同じことを言っていると、気づいたときがありました。
 
経営に必要だと言われているデザイン(クリエイティブ)というのは、言葉によって整理できる能力です。
「なぜこのデザインなのか」「なぜこのコピーなのか」「思考整理の再現性」「スキルの再現性」「ユーザーの求めていること」などなど。
つまり、説明できるデザインを必要としています。
 
これに拍車をかけるのが、マーケティング数値を合わせたデザインの説明です。
(数字を美しく扱えるマーケターって少ないのです。絶賛、募集中でっす!)
すると、広告も説明的になります。
説明しながら作るから。
説明しないと社内の予算がおりないから。
そうやって、人(素人)の意見を聞きながら、数値化して、広告を作ります。
(論文のように、ちゃんと数字と友達になれるマーケター、本当に会いたいです!)
 
こんな作り方じゃあ、つまらないですよね。
何のために、長年、デザインの力をつけてきたのか、分からなくなりますよね。
自分で考える力も、必要ないですし。
年長者たちが、こぞって「つまらなくなった」と言う理由がわかります。
 
広告を見る生活者たちも、説明された一枚を読むだけだから、「おもしろい」「つまらない」を判断せずに、単に理解するだけです。
こうやって育った生活者たちと、サラリーマンや経営者と、デザイナーを志す若者たち。
説明で溢れた世の中で育った人たちは、何をおもしろいと思うのか。
 
ちゃぶ台を返すようですが、ぼくは、よく分からないけど、おもろいヒトやモノが、やっぱり好きです。
遭遇する度に発見があったり、自発的に考えさせられたり、期待を裏切られたり、飛躍したり。
老若男女、色々な職種の人たちと話をするおもしろさって、ここにあります。
 
話をしても、伝わらないおもしろさ。
言葉にできない、おもしろさ。
言葉にできない、もどかしさ。
 
こういうモノゴトを、言葉にしてはいけない。
伝えた気になって、こころに、しこりが残るから。
もしも、デザイン(クリエイティブ)の力を借りたいのなら、言葉にできないものの存在を、信じてもいい。
 
こういうことを最近考えていたら、前川清さんのコンサートを聴くタイミングが、先日、ちゃんと訪れたのでした。
歌謡曲のよさと、クリエイティブのおもしろさって、近いところにあるのかもしれませんねー。


はじめての前川清さんのコンサート(翌日)。

2018.6.12

「初恋 Love in fall」と「それは、ラララ」を、iTunesで購入して聴きながら、先日の前川清さんのコンサートの余韻に浸っています。
「よかったな〜」という余韻から、「なんでよかったんだろう」も徐々に感じ始めています。
前川さんの良さは、みなさんが口を揃えて言っているので、「もう、その通り!」ということでいいと思います。
「じゃあ、なによ?」ってなるでしょうが、「歌謡曲の良さ」について、感じ、考えはじめています。
 
結論から話すと、「説明しない部分の多さ」と「想像できる年齢に達した」ということではないでしょうか。
 
前川さんの曲を知らないぼくでも知っていた『東京砂漠』。
やさしさも、何もない都市(まち)、東京。
でも、私は好きよ。
だって、あなたがいるから。
、、、って、これだけなのに、ジーンとするんです。
これだけを歌うからこそ、「俺のこと」として想像できるんですね。
『ひまわり』もそうでしょう。
いま、イヤホンを通して、目を閉じて聴いていると、ジーンとするんです。
(仕事の休憩で聴いたら、本当に泣いてしまった)
 
これが、心情でも場面でも詳細に書かれていたら、「俺は違うよ」となるでしょう。
今回、初めて知ったのですが、歌謡曲って、浮気や失恋や繋ぎ止めたい気持ちなどの、人間の「情けないとされるもの」を歌っているんですね。
これを少ない描写で、約束された曲調で、素敵な歌手が歌ってくれる。
ここで必要なのは、「人間だしね、色々あるよね」というお互いの度量。
 
子どもの頃の紅白歌合戦で歌われる歌謡曲が、なんにも分からなかったのは、当たり前だったんです。
だって、子どもは、度量が大きくなるほどの、ずるかったり、汚かったり、情けない経験をしてないですから。
いま、前川清さんの歌謡曲を聴く経験ができて、本当によかったです。
 
この時代、この日本に、ちょうどいい年齢で仕事をしている世代として、前川さんの歌を聴けて、よかった。
簡潔に説明することを良しとする現代社会に、ぼくも生きています。
でも、違和感を持っていました。
すべてのモノゴトは感動できるのなら、簡潔に説明しない良さを、「歌謡曲の世界だから」と閉ざすのではなく、仕事のいたるところで活かせるんじゃないかと、いま、思っています。