Archive for 2016

森林農法のコーヒーが飲めるスローハウス。

2016.10.27

先日、私のパートナーの友人たちが開いているゲストハウス「旅の宿 Retreat Space」に宿泊した。移住者が増えている房総半島の千葉県いすみ市にゲストハウスはある。近くには移住者の家が固まって建っている小さな集落のような箇所もあるが、そこから少し離れて今回の家はある。隣は山となっているので静かに過ごせ、田舎暮らしと聞いて想像できるような平屋建ての古民家ーー家の中は手入れがされていて綺麗で、縁側から庭が一望できる。
 
庭には家庭的な畑もあり、無農薬で栽培されており、今年から肥料も極力使わないで育てることに挑戦しているとのこと。季節が終わるプチトマトを一つもぎ取ってそのまま食べると、口の中いっぱいに旨味が広がる。それでいてしつこくなく、後味がさっぱりとしていた。「いくつでも食べられるなぁ」と思ったが、遠慮がはたらいて一つだけにして、草木染め用のブタクサ刈りと野生のみかんの収穫に同行させてもらう。
 
先ほどの遠慮がどこへ行ったのか、みかんを収穫したらまずは口に入れてみたいと食指が動く。野生のみかんは外の皮と内の白い薄皮がしっかりと貼りついていて剥きづらいのだが、これが自生の力。少し硬い皮を剥いた後は、薄皮を剥かずにヒョイと口の中へ。肥料を使った甘さではなく、ほどよい酸味の後にやさしい甘みがある。重層的な味によって、自分の舌がフル稼働しているのがわかる。
 

多種多様な木を育てる森林農法のコーヒー。

 
そうこうしているうちに、ゲストハウスの管理人であるヒデさんが、大原港で催していた朝市から戻ってきた。ヒデさんはカフェで約9年間働いた後、房総に来てからオーナーである友人たちと出会い、現在、管理人としてゲストハウスを任されながら、森林農法・無農薬有機栽培のコーヒーを広めている。
 
コーヒーの栽培における森林農法とは、コーヒーを育てる際にコーヒーだけを生やすのではなく、その土地で自生している他の木々も育てることで、害虫の天敵である虫や様々な生物が育ち、農薬や化学肥料を使わないでコーヒー栽培を可能にする農法だそうだ。森林農法でコーヒー以外の木が育つことで、コーヒーだけでなく、食料、薬、木材、飼料、燃料、樹脂などが収穫可能となり、生産者はコーヒーの収穫が安定しないときでも生活をすることができる。つまり、農薬や化学肥料不使用のコーヒーを飲むことができるとともに、コーヒー生産者の生活も安定し、生態系も豊かになるという仕組みである。
 
ヒデさんの淹れてくれた森林農法で収穫されたコーヒーを飲んでみると、味はしっかりと抽出されているのにすっきりとしていて、自然栽培で育った野菜のような印象だった。聞けば、コーヒーを淹れているヒデさんは森林農法のコーヒーを飲むまで、砂糖やミルクを入れないブラックでコーヒーを飲むことができなかったそうだ。それが、森林農法のコーヒーと出会ってからブラックで飲めるようになり、今ではお客さんにもブラックでコーヒーを提供している。普段はブラックでコーヒーが飲めない私のパートナーも、この日はブラックで飲めており、しかも、いくつかの豆を試していた。
 

健康的で智恵が詰まったゲストハウス。

 
添加物過敏症になって、食べられるものがほとんどなくなってしまった人が、自然栽培の野菜やお米なら美味しく食べられたという話はよく聞くが、それと同じことがコーヒーでもあり、実際に私の目の前で起きていた。東京駅から特急で約1時間、都会の喧騒はなくなり、健康的な食事とコーヒーを吸収しに行ってみてはどうだろうか。お風呂が薪でもガス(電気)でも沸かせるようになっていたりと、とても智恵のある場所であり、オーナーや管理人と話をしているだけでも楽しい時間だ。健康と智恵が詰まったスローな時間は、自分に優しくなれる場所だ。
 
ゲストハウス:旅の宿 Retreat Space
参考:フェアトレード・有機コーヒー販売 ウインドファーム「森林農法」
 
 
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『禅マインド ビギナーズ・マインド』を読んで。

2016.10.21

故スティーブ・ジョブス氏やシリコンバレーの企業でも愛読され、先日取り上げた『Q思考(原題:A More Beautiful Question)』でも引用されている『禅マインド ビギナーズマインド』。一巻と二巻が発刊されていて、2010年に発刊(新書版は2012年)された一巻目が、初心の心をはじまりとして禅の全体像を伝えているのに対し、2015年に発刊された二巻目は只管打坐(しかんたざ)、結跏趺坐(けっかふざ)という、修行の仕方に重点を置きながら禅を伝えている(二巻目は新書版のみの発刊)。
 
なぜ、この本が世界的ベストセラーになっているのか。多くの企業で取り入れ始められているマインドフルネスという考え方。今この瞬間への集中力を高めて、パフォーマンスを向上させやすくなるとして、マインドフルネス瞑想はGoogleをはじめ、Linkedin、Facebook、インテルなど多くの企業で導入されている。導入の先駆けともいえるGoogleのサーチ・インサイド・ユアセルフというプログラムの開発者であるチャディー・メン・タン氏は著書(*)の中で、古来からの瞑想のあり方をこう語る。「瞑想は魔法のようなもの、謎めいたものとは見なされておらず、ただの心のトレーニングだった」。そして、マインドフルネスを練習した人の前頭前野の情動設定値が、情動的知能を高める方向へシフトしたという結果を示した。
 

プラグマティックな禅。

 
前置きが長くなったが、現代社会において「幸せになること」と「生産性(パフォーマンス)を向上させる」ことは密接に結びついている。そして、情報過多となり、ノイズの多い現代社会において、ノイズに惑わされずに集中することが生産性を向上させることにつながるとも信じられている。その一助となるのが、マインドフルネスという考え方であり、瞑想や坐禅だ。
 
古典的に禅をやっている人からすると、この一連の考え方は不純に感じるかもしれない。しかし、著者である鈴木氏は禅の悟りを映画のスクリーンに喩えて、坐禅をすることで汚れのない真っ白なスクリーンをもつことが最も重要と言いながらも、「たいていの人は汚れのない真っ白なスクリーンには興味をもちません」とも言っている。坐禅をし、瞑想をすることで最終的には悟りに気づき、その状態を常に保つことができるようになることで、今まで抱えていた恐怖心や不安はなくなり、平穏な心の状態が維持できるようになるだろう。しかし、人々が注目しているのは悟りに至る前の「集中力が高まる段階」なのだ。
 
現代は極めてプラグマティック(実利的)な時代であるが、『禅マインド ビギナーズマインド』を読んでいると、鈴木氏が伝えていた禅が極めてプラグマティックであることがわかる(以下、引用)。
 
  「初心者の心には多くの可能性があります。しかし専門家といわれる人の心には、それはほとんどありません」
 
  「周りの人々をコントロールしようと思っても、できません。一番いいのは、好きなようにさせることです。(中略)好きなようにさせておいて、そして見守るのです。これが一番いいやり方です。無視することは、よくありません。それは一番よくないやり方です。二番目によくないのは、コントロールしようとすることです」
 
  「未来は未来であり、過去は過去であり、今だけが新しいことをするときです」
 
  「未来について、固定した考え、あるいは希望などを持っていると、今、ここにおいて、本当に真剣になれません。「明日、やろう」「来年、やろう」などと言います」

 
また、著書の中で度々、師弟関係についても触れている(以下、引用)。
 
  「ときに師は弟子に対して礼をし、弟子は師に対して礼をします。弟子に対して礼をしない師は、ブッダに対してもできません」
 
  「師の話を、透明な、純粋な心で聞けば、まるですでに知っていることを聞くように、それを受け入れることができます」
 
  「人間性のつねなる傾向として、教えを受け取るほうは、なにかその教えは、押しつけられているように聞こえます。」
 
  「…すべての戒律を守ることができないと感じるなら、取り組むことができると感じられる戒律を選んでもよいのです。(中略)まず最初にあるのは、規則ではなく、実際の出来事あるいは事実です。ですから、自分の戒律を選ぶチャンスがあるというのが戒律のもつ性質なのです。(中略)どの方向へ行くかはあなた次第です」
 
  「師たちの間にはどのような葛藤があってもいけません。もしある師が別の師のほうが自分よりも適任だと思うなら、その人のほうを勧めるのです」

 
上記のような師弟関係のあり方や戒律との接し方は、現代における上司と部下、同僚同士の関係性、仕事の受注や選び方にも当てはめることができるだろう。上司が礼を欠いて部下と接すればパワハラのような接し方となり、自己認識ができなければ、自分の能力の限界を超えて仕事をし続け、短期的には仕事の成果は下がり、中・長期的には体を壊して自分の日常に影響がでることになる。
 

私自身の体験を踏まえて。

 
私も前職において残業時間が120時間を超えることもあり、80時間を超えるというのは当たり前だった。私にとって仕事は好きなものであり、「仕事=生活」だと考えていたので、そのときは構わなかったし、苦でもなかった。しかし、それには無理があり、私は体を壊した。その後、私は考え方を改め、仕事を何でも引き受けることよりも、労働生産性を重視するようになり、仕組みが変わらない会社を退職した。鈴木氏が著書の中で言っているように、禅において戒律が合わないのなら、違う戒律を選ぶことは自由なのだ。この戒律を、会社でのルールや仕組みと捉えれば、その会社のルールや仕組みと合わなければ、職場を変えることは自由だし、自分に合ったルールや仕組みのある場所へ進めばいいのである。
 
また、年功序列が生き残っている日本の社会では、「年上」「先輩」「上司」というだけで、その人の話は「重圧」を帯びる傾向が出てきてしまう。それは話す方もだが、聞く方も少なからず感じてしまうものだ。だから、話し手はその傾向を意識して、相手に伝わる話し方を勉強する必要があり、聞く方はその傾向を意識して、相手が伝えたいことに集中する必要がある。
 
それ故、現代日本での「年上」「先輩」「上司」にあたる人は、相手に自分の話が伝わらないからといって「私が言ったからやりなさい」ではなく、「言い方を考える修行を与えられている」と思考を変えた方がいい。それは、自分がそのような立場になってきていて強く感じる部分でもある。クライアントの対応でも同じだが、相手に伝わる話し方を一瞬一瞬で考えることによって、話す内容は論理的かつ具体的になるし、考えるという一瞬の間(ま)によって、自分が冷静になっていくのを感じる。不純なように聞こえるかもしれないが、私はそれを楽しんでいるし、その都度、修行だと思っている。
 
鈴木氏はこのようにも言っている(以下、引用)。
 
  「唯一の道は自分の人生を楽しむこと、それだけです。(中略)それこそが、坐禅を修行する理由です。(中略)最も重要なことは、ものにだまされないで人生を楽しむことができるということです」
 
私も含めて、人は幸せでありたいと願う。幸せは不安とともにあるが、不安をすべてなくすことはできないだろう。しかし、幸せであるときの感覚は知っている。優しく、平穏で、気持ちのいい感覚だ。それを手に入れるために仕事や修行をすれば苦しいものになるが、幸せであるときの感覚はすでにそこにあるもの、仕事や修行とともにあってもいいものだとわかれば、一瞬一瞬が幸福に変わる。それを伝えてくれる本であり、禅という特殊な環境だけでなく、仕事や日常生活での自分のあり方や、上司と部下の関係性にフィードバックを与えることができるビジネス書でもある。
 
*『サーチ・インサイド・ユアセルフ 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法』、著:チャディー・メン・タン、出版:英治出版、2016年
 
 
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再現性を高めるアウェイクニングメモ。

2016.10.13

打ち合わせ用の資料を作るときや、戦略的パートナーとのちょっとした会話のときなどに「あの本に書いてあったものが使えるな」というようなことがあるだろう。そのような場合、書籍であっても、ネット記事であっても、記憶から「同じように引っ張り出せること」が生産性の高い会話への糸口となる。記憶から引っ張りだす方法が、時と場合によって異なっていると、どこにあった内容なのかを覚えている必要が出てきたり、もしくは、それらを紐づけている表が必要になったり(パスワード一覧表のようなものだ)、最悪の場合、情報が間違った状態で相手に伝ってしまうことも生じてくる。
 
人間の記憶というのは曖昧なものだ。ドイツの心理学者であるエビングハウスが行なった記憶と忘却時間との実験では、新しく覚えた記憶は1日で約74%を忘れてしまい、その後の1ヶ月で最初から覚え直さないといけないレベルになることを示している。この実験では「無意味綴り」が用いられており、ヒントを与えても思い出せない「完全忘却」と、ヒントを与えたら思い出せる「再認可能な忘却」を分けていないなどの指摘があるが、「自分にとって意味を持たせることで忘れにくくすること」も可能だといえる。
 
しかし、だからと言って「覚える量」を増やすのは容易ではなく、覚えるぐらいなら、脳が処理するスピードを上げたいのではないだろうか。ずぼらな私はそう思う。そこで、私が行なっているのは、メモアプリを使った記憶におけるアウェイクニングメモを作成することだ。書籍や文献、ネット記事でも、「使える」と思ったところをタイトルと一緒に、メモアプリに箇条書きにしたり、中略を交えて引用して記載することで、論文の参考文献欄を見ればその内容がわかるようなのと同じようにしている。ネット記事であれば、タイトルとURLさえわかれば十分だ。つまり、「忘れないように覚えておく」のではなく、「いつでも記憶から引っ張り出せるようにしておく」のである。
 

クラウドによる恩恵。

 
メモアプリを使う前は、本に付箋を貼って本棚にしまったり、kindleを使ったり、自炊(書籍のPDF化)を試したりもしたが、どれも「思い出す方法」がバラバラであり、本棚にある内容を目の前の人に話すことはほとんど不可能であった。Evernoteも試してもみたが、当時の私にとっては機能が多すぎて「メモに直接アクセスできて、もっと動作が軽くて、機能が制限されているツール」を探していた。その後、iPhoneとmacのメモアプリがクラウド上で同期をするようになってからは、純正のメモアプリを使ってアウェイクニングメモを作るようになった。
 
必要な箇所を書き出す作業によって、その内容が使われる際のイメージもつきやすく、知識を自分のものとして吸収しやすくなっている(意味を持って記憶するということだ)。内容を忘れてしまった場合も、メモアプリを見れば「どの記事のどんな内容だったのか」を思い出しやすくなり、会話や資料作成の再現性が高まっている。
 

本を紹介するということ。

 
また、ビジネスマンにおいて、「本を勧めること」や「本をプレゼントすること」は相手に興味を持っていたり、理解していることへの表れにも繋がり、戦略的パートナーシップを深めるきっかけづくりにもなる。そんなときに情報があやふやであったり、個人的な好みでしか勧めることができないと、仕事においてもそうであると勘違いされたり、プレゼンが下手と思われる可能性も出てくるだろう。友人関係においても、あやふやな情報を話す人として思われるているかもしれない。人に何かを勧めるというのは「あなたにとって、こんな理由でベネフィットがある」と説明ができなければ、紹介された人は動き難いのである。購買モデルが企業からの押し売りではなく、紹介(口コミ)と調査に変化した現代において、どんなタイミングでも忘却した記憶を呼び覚ますアウェイクニングメモはおすすめの方法だ。
 
 
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労働生産性を向上させるUXデザイン。

2016.9.29

SNSやスタートアップ企業が台頭し、日本でもLINEが普及したり、海外企業のサービスや商品が普及していくにつれて、UX(ユーザーエクスペリエンス:ユーザー体験)という言葉を聞くようになっているだろう。私も例外ではなく、UX:ユーザー体験を重視した提案をするのには、そちらの方が、企業にとってパフォーマンスが高くなるからだ。
 
「企業にとってパフォーマンスが高くなる」ということはどういうことだろうか? 「株価が上がった」「従業員の満足度が高い」「純利益が上がった」など細分化すればキリがないが、少々乱暴な言い方をすると、総括して「生産性が向上する」ということがいえる。
 
公益財団法人日本生産性本部が発表しているデータを見ると、日本の労働生産性は国際的に見ても低い。労働生産性の低さは1970年代から変わっておらず、昨年のデータでは主要先進7カ国中最下位であり、OECD加盟諸国中では21位となり、平均を下回っている。製造業においては主要先進7カ国中3位(OECD加盟国中10位)となっているが、オートメーション化が進む近い将来、人間の仕事に必要なスキルが育っていないことになるので、むしろ、喜べない事態だろう。
 
労働生産性だけがすべてではないが、生産性とは時間と利益の関係性であり、サービス残業・過労死とも関係がないわけではないので、見過ごしていい問題ではないことは明らかだ。
 

購買モデルの変容。

 
SNSやスマートフォンの台頭により、ユーザーは商品を購入する際に「調べる」ことが当たり前となった。商品自体の性能や評判、商品を作っている企業、競合などを時間をかけて多角的に調べるようになっており、購入するに値するかを査定している。それは大げさな企業コピーでもなく、押し売りのキャッチコピーでもなく、ユーザーにとって企業や商品が「信じられる相手」かどうかを判断しているともいえる。
 
その中では、企業目線の押し売りも「お客様は神様」のような過剰なサービス精神も必要ではないし、粗悪品を売ればその評価が拡散され、ユーザーは離れて商品もサービスも売れなくなる。つまり、今までの日本企業のやり方ではユーザー体験を満足させることができなくなっており、多くの企業が問題として手に余り、放置するか、どこかの広告代理店や制作会社に丸投げする事態となっている。しかし、丸投げされた方も「昔ながらのやり方」によって、ユーザー体験ではなく、自社の利益を求めるあまりに、UXデザインが効果的に機能していないのも事実だ。
 
そうすると、会社としての利益も下がり、労働時間も無益に増えることにつながる。いつまでも企業目線の押し売りをして利益が上がらないのは、ユーザーが物を買わなくなった時代になったのではなく、ユーザーにとって商品やサービスを購入するに値しないと判断されているのだ。
 

ユーザー体験にお金を払う時代。

 
このことは、ニュースアプリでも似たようなことがいえ、ユーザーにとって価値がある記事が集まるようになっており、情報サイトは記事におけるユーザー体験を無視することができなくなっている。たとえば記事に載っていたカフェに行ってみたら、サービスや雰囲気が良くなかった場合、その記事を書いたライターのその後の記事は信用度を失うし、そういったライターが多い情報サイトも信用を失って購読者が離れていき、ニュースアプリにも掲載されにくくなる。それは老舗であっても、スタートアップ企業であっても同じだ。
 
以前のビジネスモデルなら、競合他社を追い抜き、突き放したり、ユーザーに購入させる方法に目が向いていたかもしれない。しかし、現代のビジネスモデルでは、いかにユーザー体験を満足させるかであり、だからこそ、ユーザーにとって使いやすかったり、使った心地が改善されるような商品やサービスを提供する必要が企業には求められている。ユーザーのことを考慮した結果、自社の労働生産性が向上する仕組み。それがUXデザインになっている。
 
参考:公益財団法人日本生産性本部「労働生産性の国際比較2015年版」

アートの依頼仕事。

2016.9.28

アート関係での依頼仕事で、先日、襖絵に手を加えることをしました。既に完成されているものに手を加えるのは久しぶりのことで、しかも、珍しい幅の襖で本来なら3枚で使うところを2枚で使っているため、1枚あたりの幅が広く、威圧感さえ感じるものでした。
 
実は、その襖がある家は近々取り壊して、一家で別の住居に引っ越すとのこと。しかし、今の家は、依頼主とお亡くなりになった祖母との思い出がある家であり、描き終わってから知ったのだけれども、特徴的な襖の幅も祖母のこだわりだったようです。
 
偏狭なる賞賛と批判のゲームを降りてからは、こういった依頼が増えています。自己表現ではなく、中庸の道として作品があるべき姿として世に形作られること。亡くなった人との関係性が含まれる作品をつくること。第三者である自分は予測するしかないが、今を生きている依頼者へ、そっと寄り添えるような作品でありたいと思います。