Archive for 2015

何度。

2015.11.20

あと何回、呼吸をするんだろうかと疑問に思った。何回、食べ物を食べ、何回、歩き、何回、喜び、何回、悲しみを抱くのだろうか。しかし、そんなことよりも、あと何回、作品を創れるのだろうか。自分の中の中心を見失い、葉や景色がそっぽを向き、目を開けてても意識が飛ぶ瞬間がある。
何度、堂々巡りをすれば気が済むのだろうか。進んでいるのか、力を失っているのか。そもそも、力をなくしていくことが進むことなのだろうか。

改めて考えると。

2015.11.17

なぜ引っ越しをしたいのだろう、と改めて考えてみると、「広い部屋でデカい作品をつくりたい」という理由だった。そして、「出来た作品を額に入れて、壁に掛けたい」という理由もあり、「友達や仲間が作品を生で見れる場所をつくりたい」という理由もあった。お茶でも飲みながら、ゆっくりと流れる時間があってもいいだろう。散歩がてら、ギャラリーに行くようにフラッと立ち寄れる場所でもいいだろう。仕事の密談をする場所でもいいだろう。そんな、場所にしたいのだ。

言い聞かす。

2015.11.15

作品が全然進んでいない。そもそも作りたいものは何だったのか。それすらわからなくなっているような気もしている。終いには手を動かすことにさえ恐れ抱くようになり、一歩を踏み出すことよりも、現状維持の言い訳を探すようになる。もはや、そんなものは現状維持でもなく、滞留し、淀み、濁っていくだけである。踏み出すのだ、一歩を。恐れるな。

線引き。

2015.11.8

これからはじめようとすることを一つひとつ書き、関係のある事柄を線で繋いでいく。そのうちに、関係のある事柄が思い浮かぶと、それも書いては線で繋いでいく。
 
すると、関係なかったもの同士が、間接的に関係していたり、同じ方法でできそうだということに気がつく。一方で、「ここから先は、やりたくないな」ということも明確になってくるのだ。
 
あれもこれも手を出しているようで、実は同じようにできることを選んでいるだけなんだろうな。

名前がみえてきた。

2015.10.31

次の計画が見えてきたぞ。
 
文明やクリエイティブを発展させてきたのは、余白の時間だ。つまり、暇人が考え事をしつづけた結果、言葉や知識、技術を発達させることができたのだ。
 
最近、編集力よりも処理能力の方が高くなっていることに気がついてしまい、過去の自分と真逆の自分になっていることに愕然としたが、なぁんてこたぁない、余白をつくってしまえばいいのだ。つまりゼロをつくってしまって、散歩をぶらぶらしちゃえばいいのだ!
 
そしたら、作品力もバリバリ上がっていくでしょう! フッフッフッ、情熱が見えてきたぜ。