Archive for 2014.3

2014.3.13

書き溜めたものも使って更新することを始めたら、同じ内容のものがあることに気が付いた。こういうラクをしちゃいけないな、と思う反面、考えを言葉にしすぎているときもあり、それを出していかないと、中身がヘドロのようになる気持ちもある。 
 
だから、適度に体内を出していくことで、流れが澄んでくるのだ。

2014.3.13

カフェでカレーなどを注文すると、ご飯を盛ったプレートに、カレーが入った器を乗せて出てくることがある。すると、器にご飯粒がくっつき、けっこうな量を残すことになってしまう。
 
もちろん、米粒を1つずつ剥がして食べることも出来るだろう。しかし、それをするのだろうか? すると、「何のためにこんな盛りつけをするのだろうか」という疑問が生まれる。
 
「何のために——」
 
それは、自分のやっていることについても考えることだ。僕がつくっているものに、誰が、何が幸せになるんだろうか。自分はどうだろうか。
 
たくさんの疑問が、生まれてくる。

2014.3.11

生きる理由がないというのは何故だろうか。そんな人と出会うと、たくさんのことが疑問になるが、一方で、「自分にはそれほどの理由があるのだろうか」という疑問も生まれる。

作品はつくるが、それが生きる理由になっているかというと、昔ほどそうではなくなっていることに気がつく。

作品をつくることが生きる理由として胸を張って言えていた頃は、「自分がすべて」だった。今でもあながち嘘ではないが、あの頃と違うのは、「関わってくれた人達」のプラスを考えることだろう。

それが良いことなのかはわからないが、いつ死んでも満足できるようにしてるというのは、変わらない。

2014.3.11

久し振りにファインダーを覗いて、カメラを構えて撮ってみたんだけど、下手になっていた。
 
頭の中に見えるものとのギャップ——たとえ、2mm程度の誤差に見えようとも、良い方向でのギャップでない限りは、その誤差は調整できなければならない。
 
しかし、漸く手に入れたマニュアル機だ。これが、藝術の神様が与えてくれたチャンスだと思い、撮影をしていこう。

写真は、facebookの方にアップしました。

2014.3.9

ニコンから出ている「Df」を買いました。先日、ショールームで試してみたら、直感的なマニュアル機として使える。しかも、学生時代に使っていたFM3Aのレンズも使えそうだ。
 
それにしても、写真を始めたのがもう、10年以上も前になることに驚くんだな。そして、中判や4×5を使ったり、デジタル一眼、iPhoneを使ったとしても、結局は35mmのマニュアルが一番落ち着いちゃう。
 
ファインダーを覗いて、パシャパシャ撮っちゃう。この一連の「軽さ」が僕には合っているようだ。
 
漸く、電池の充電も終わり、これからセッティングして……やばい、興奮してきた。