Archive for 2014.1

「ありがとう」が増えていく

2014.1.25

「攻撃的な作品」を作らなくなってきたような気がしています。内容が、っていうよりかは、構図や色味だとか表面上のことなのかもしれませんが、「専門家に向けた作品」のようなものは作らなくなってきました。
 
これは、ここでの言葉遣いや話題とする内容にも絡んでくることなのですが、どれだけ門戸を開いて、傷めた心の傍にいることができるのか——そういう作品でいたいと思うのです。
 
作ってきたことや、作れることに感謝の気持ちがあるし、関わってくれてきた人や関わってくれた人、そして、自分自身に感謝の気持ちを持ちます。それは、在るのが難しいことなのかもしれませんが、普通のこととしてあって欲しいのです。
 
「ありがとう」が増えて、優しい気持ちを増やしていきたいです。

反面教師の考え方

2014.1.24

人類はルーティン化していく種族だということがあります。決まった時間に起床して、約束先に向かう。

それが行き過ぎると、滞ることを許せなくなります。

それが丁度良く働くと物事は進んでいきます。その気持ちよさを失うことが、怒りを覚えさせるのか、進まなくなった先を考えて怒るのか、はたまた両方か。

でも、人は老けていくし、時間は止まらないことを考えると、ルーティンでもないのかもしれませんね。

二重否定になりますが、でも、これは反面教師のような考え方なので、嫌いな考え方です。

生き方上手、死に方上手、別れ上手

2014.1.21

「なぜ生まれてきたのか」と悩み、「良い死に方をしたい」と願う——自分も含め人間の行き着く先ないし根っこは、生き死にに結びつくのではないだろうか。
 
愛しい人や食事を分かち合った仲間と死に別れ、それでも人は誰かといることを選ぶ。時間は悲しみを累積させ、悲しみを忘れるかのように、仕事に熱中する。しかし、ふとした時に悲しみ混じりの感動と出会い、積もった悲しみの経験はこの感動のためにあったのかとさえ思われるほどだ。過去の人は「おかし」という単語をつくった。感動の中には、別れる悲しみがあることを知っているのだ。

生き方上手とは、死に方上手のことで、死に方上手は別れ上手ということなのだ。

瞑想

2014.1.21

久し振りに瞑想を行った。呼吸を整え、順を追って身体の隅々まで意識を向ける。すると、瞑想を行う前の滞った心象は減り、平穏が現れてくる。忙しさにかまけて寸分と長い間、瞑想を行っていなかったが、本当は心を亡くしているときにこそ必要な行為だ。

世界を変えるような一枚を作りたいと、子どもの頃のような気持ちを思い出した。

Cool Running

2014.1.19

大学時代からの友人、野村隆介とやっている『Cool Running』ですが、これは僕の成長にもなっています。こう何年も続くものだとは思ってもいなかったのですが、職業とは違うところで動いているせいか野村にも、僕にも惰性とやる気のバランスが出てきます。
 
それでも、文章を読んでいると、最後まで読ませる力はついているし、文章を活かしながら最終形に繋げる力が互いに伸びていっているように感じるんです。
 
これね、本当はもっとたくさんの人に読んでもらいたいんです。
 
なので、詳しくはこちら