Archive for 2013.11

忘れている

2013.11.24

今の速度のままでは衰退になると思うのだが、今の速度を超えると、多くのことが空中分解しそうな気配がある。
 
それが、一人の限界だと感じるが、頼ることを忘れている。
  
そう考えると、頼るとはどういうことだろうか、という疑問と出会う。
 
I think that I will decline still speed in now. On the other hand, over speed, I will lost a lot of projects.
 
This is the limit of alone, but l forget to rely.

体を動かす理由

2013.11.23

筋トレとランをすると、体の細胞が起きる。血肉が己の存在を証明しようとする。それらに応えるように動くのだが、「選ぶのは俺だ」という意識が働く。
 
生きていると、必ず困難と出会うが、幸運と同様に「選んでいるのは自分だ」という意識を向けることで、他人のせいにしないで済む性格が出来上がる。もしくは、問題がどうして起きたのか、何が問題なのかを考察する力を手に入れる。
 
スポーツ選手ではない人が、運動をするというのは、こういう理由があってもいいだろう。

人の技

2013.11.23

今年からタイ古式マッサージを使うようになったのだが、こういうのも特定の場所に行くのがいいと思った。同じ人の場合、僕の体の仕組みや状態を把握しやすいようで、その日に合わせたやり方を判断して行ってくれる。
 
仕事なのだから当り前のことかもしれないが、人に自分の体を委ねる以上、物や仕組みを作っている僕ら以上に、察知力と適応力は高いのかもしれない。
 
いや、そうであって欲しいという僕の願望かもしれないが、前回と今回、体を預けた人の技は、見事に疲労を回復させた。

違い

2013.11.22

美味い酒を呑む頻度は上がっているが、美味いご飯を食べる頻度は減っているかもしれない。
 
僕の場合、酒と食事の違いは、酒は美味い酒を上手い人に作ってもらえたら嗜めるが、食事の場合、上手い人に作ってもらうよりも、愛おしい人に作ってもらう方が体が喜ぶということだ。
 
自分で作るということも両方あるが、最近は、一人分つくるのも億劫で、結果、美味しいご飯を食べる頻度が減っている。

作るための話

2013.11.20

久し振りに写真の話をしよう。誰も彼もが高画質な写真が撮れる時代、判断力と絵にする力が、今まで以上に必要になっていることは明らかだ。しかし、どんな人でもストックフォトで販売できるように、偶然の一枚でも、お金を稼ぐことができるようになっている時代であるのも確かだ。
 
前者のように判断力と絵にする力が必要になるのは、職業として永続的に続ける場合であろう。写真家として、技術を積み、想像力を育み、的確に絵に出来るかどうか——制作中の発見を瞬時に作品に取り組むのか、次回以降の作品にまで待つのか——僕達が必要とする能力はたくさんある。
 
しかし、技術、想像力、判断力すべてに共通するのは、「本当につくりたいものをつくる」という覚悟が、根っこに存在しているということだ。
 
その覚悟がなければ、薄っぺらなメッキが自己に上塗りされるだけだ。