Archive for 2013.8

アンドレアス・グルスキー展

2013.8.15

『アンドレアス・グルスキー展』を観てきたのですが、最高でした。ベッヒャー夫妻の教え子とあって、構成力とビジュアルに合ったサイズ選びの最高具合ときたら、もう最高でした(意味わからんぐらい最高)。
 
デジタルとかアナログとかっていう分け方が、本当にどうでもいい区分だということをまざまざと見せつけます。本当に美味しいものを食べたときには、「ウメェ」と言葉をもらして、一心不乱に食べ続けたくなるように、「すげぇ」の一言でずっと見続けていられました。そして、「闘いたい」と「世界はわくわくするな」想うのでした。10月、楽しい闘いになると嬉しいです(グルスキーさんいないけど)。
 
また、国立新美術館は、人間がいて、人間の温かみがあって、真価を発揮する場所だと感じるのですが、鑑賞者+建築物としての構成力に、作品が太刀打ち出来ていると感じたのは、初めてかもしれません。

偏見だ

2013.8.15

通常通りというのは、あるのだろうか?と思いました。ノーマルってことでしょうが、悪く言うと「偏見」です。

そして、大抵は「ここから外れると面倒臭いぞ」という流れで通常通りを選ぶことが多いはずです。

ですが、先ほども話したように、「偏見」なんです。たかだか、僕や僕の中の誰かや、誰かと話した時の雰囲気で決めつけているようなものです。

そう思っていたら、通常通りを変えるのも自分次第なんでしょうね〜。

対価

2013.8.13

良いものが出来たとき、対価として魂を支払った感覚があります。体の色は薄くなり、寿命が短くなった感覚を持ちます。完成しても、それがないのは悪い感覚でしょう。魂に正直に生きていかなきゃ、終着点は後悔だと思うんです。

どうしようもないこと

2013.8.13

最近、後手に回ることが多くて、良くないなと思っています。数え上げたらキリがないほどになっていますが、ここ数日は酷すぎる気がしています。
 
原因を上げるとすると、「わからない」ということです。だから、余計な考え(=迷い)が生まれているんです。2つ目では、顔を立て過ぎているということもあるかもしれません。無駄が生まれたのなら怒鳴ってもいいでしょうし、キレてもいいでしょう。3つ目、「どうしようもないこと」が起きている。これは、どうしようもない。けれども、負の蓄積は確実にされているので、どこかで対処しなければ負にやられてしまいます。
 
とりあえず、体の疲れは寝てとれたら嬉しいです。
 
う〜ん、久々の弱気だな。

昨日の続き part 2

2013.8.11

「無駄な時間」というのが嫌いです。正確に言うと、「反面教師で成長しなきゃいけない時間」が嫌いです。
 
これも何度も話をしていますが、反面教師下での成長はその人の意識次第です。そして、意識が高い人間ならば、手放しで良い環境に放り込んだ方がグイ〜ンと成長し、メキメキと頭角を表すものです。しかし、反面教師下に長いこといると、臍を曲げたり、ひねくれたりする可能性が高まります。そうしたら、折角の高い意識はどんどん低くなり、結局は自分の人生を放り出す生き方を選びやすくなります。
 
そんな馬鹿げた循環を、僕は憎みます。
 
そして、今までの僕は、そんな環境にしかいませんでした。臍を曲げたこともありました。ひねくれたこともありました。
 
ただ、それでもこうやって生きて来れたのは、作り続けたからでしょう。作ることだけは意識を高められたからでしょう。意識を高めて作り続けた結果、ようやく「良い環境」と出会えてきたように思います。