Archive for 2013.8

友人

2013.8.26

今日は発送やらパスポート更新やらを済ませてから、一年振りに会う友人と呑んでいました。
 
僕らは大学時代の臨床心理を学んでいた友人で、彼はそのままストレートに心理職に進み、僕は藝術の道に進んだのでした。
 
おそらく、互いに向いているものに進んだお蔭でしょう。もう5年以上は同じ道で働き、自分たちの業界についての障壁をどう突破するかを意識して、未来を作っていこうとする姿勢。それはとても励みになるし、突破口はかなり似ていることを発見し、これからどう協力していけるのかを考え、答えを作りに動くようになるでしょう。
 
自分や彼も含め、異業種に進んだ友人達が力を付け始めた今漸く、社会を面白く作れるようになっていくのだなと、確信を持っています。そして、それが、人生をより一層、面白くしていく方法でもあることも感じています。

動く話

2013.8.25

海外へ送る作品の梱包も終わり、残すは「作品の発送」、「パスポートの更新(撮影)」、「ホテルの予約」になりました。
 
ここまで来ると、楽しさを期待する反面、「ずいぶん面倒臭いこともあるんだろうなぁ」なんて思ったりもしています。
 
でもね、やっぱり最後に思うのは「行くことを進めて良かった」ということです。決心しただけであれば、ずるずると面倒臭さに引っ張られて結局は行かなかったでしょう。けれども、過去に海外で展示をしたときに完全に人任せにしていたら、な〜んも成果は上がんなかった後悔があるんです。
 
そして、その頃には視ていなかった未来の社会が、今は視えています。その社会をつくるために動いている最中だったので、タイミングも良かったんでしょうね〜。
 
よっしゃ、粘り勝ちを狙うぜ。進めて、進めて、気持ち良く。そういう気分です。

気持ちの話

2013.8.25

文字が好きです。でも実際は、文字が好きというよりかは、フォントが好きです。和文フォントも欧文フォントも好きです。そうすると、歴史を知ります。そうすると、フォントの形を知ります。
 
かなり割愛してしまいますが、要するに「合理的に作られている」ということです。階級社会に合わせる、平筆が一般的だった、使役をさせたい、などなど、数々の制限や思惑によって、フォントは生まれています。
 
そして、歴史を知ると、現在の使われ方やタブーが迷信かどうかもわかってきます。けれども、下手にかじると、それらの迷信に翻弄されて雁字搦めになっちゃいます。じゃあ、どうしたら迷信に翻弄されないようにできるのか——考えたらね、「もっと良いものを作りたい」っていう気持ちだけでした。
 
たったそれだけのことで、何時間でも粘れるし、集中ができるし、一般的な迷信よりも、自分の考えの方が断然良いって自信が出てくるんです。
 
だからね、最終的には「気持ち」なんだよなぁ。

げんご

2013.8.23

英語を見ていると、不思議に思います。「何で、日本語があるんだろう」という疑問や、「英語って何であるんだろう」というものです。母国語はその人の考え方をつくる要因になるし、布教では言語を教えるのが一番効果がある。
 
じゃあ、なぜ無宗教である日本に日本語が残っているのだろうか? 英語が広まらないのは何故だろうか? 
 
島国だから? 外国人と触れる機会が少ないから? 学校教育が下手だから?
 
まぁ、そうかもしれないけれど、な〜んかね、今の日本の雰囲気や求めるものと日本語って合っていないような気がしているんですよね。やはり、英語的なんじゃないだろうかと。

無機質か

2013.8.22

エスカレーターに乗っていて、「これは凄いな」と、今更ながらに思いました。僕達は動かずに移動できちゃうんです。
 
これ、あらためて考えると恐ろしいことだと思いました。目的地へ、動かずに辿り着ける。つまり、動かずに目的を遂行出来る。
 
今、僕はキーボードを打って、言葉を書いています。もしも。これが、僕が何もせずに思っただけで言葉を書けていたら……恐ろしいけれど、そのスイッチのオンオフが出来たら、何て便利なんでしょう。
 
そういう風に考えて、エスカレーターって生まれたのかなぁ、何て思えたら、ちょっと無機質な機械もロマンチックなものになり得ますかねぇ。