Archive for 2012.3

警句

2012.3.6

実感を掴めずに物事が上手く進んでいると、「かならず落とし穴があるはずだ」と思う。

レビュー掲載

2012.3.2

アートスケープの飯沢さんのコラムに、この前の展示のことを書いてもらっています。

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美しい人

2012.3.1

 

表層から外れたとき、人は美しい。都会であろうとも、田舎であろうとも、目に映る景色には形があり、色があり、情報がある。そんな情報の海に、人はさらに着飾り、化粧をすることでそれぞれに合ったような情報を上乗せする。もしくは、相対しようとする。しかし、面白いことに、日常の中に在る人や景色が作り出している情報を消していくと、原初と思われるような人間の姿が現れるのだった。「人間とは何か?」そんな問いを持ちながら社会を観て、この作品をつくっていくと、情報を集めた景色よりも、固有性を持った人の姿が現れてくるのだった。女性でも男性でもなく、しかし、性を持った人間本来の姿。産まれたての赤ん坊が観るような景色や、意識を失うときに目に映る景色のように、失っては得ていくことが表裏一体となっている。それは、情報の表皮を剥がしたことで露(あらわ)になったその人の姿であり、武装を解除し、裸になった人間の姿は美しい。

 

白——白とは何だろうか? 日本の文化の流れを話すと、大陸文化が流入したのちに枯山水、わび、さびなどの日本特有とも言われている文化が発達し、その後、欧米文化が優勢になった。精神的な側面から話すと、強迫性が高ければ、隅々まで色や線などのわかりやすい記号情報で一面を埋める。加えて、白は「塗り残し」などとも批評されたりもした。しかし、白であることでその他の要素がより際立つということは、他のわかりやすい記号よりも雄弁な色や情報に転じることになる。また、白い空間というのは「ここに何がおけるのだろう」という、鑑賞者のイマジネーションを掻き立てる作用があり、白に見出すものによって、鑑賞者は独自の存在となることも出来る。つまり、白は鑑賞者を自由にさせる色であり、白によって浮かび上がってくるモデルは時代特有の表皮ではなく、普遍的な固有性を手に入れる。そして、普遍的な固有性を手に入れたモデルが写った作品を見ることで、鑑賞者は日常における束縛から解放される。

 

以上の2点により、時代性のある日常を写した写真から多種多様な情報を消していき、主体として写っている人間の極わずかな情報だけが残っている状態に持っていくと、生じてくる現象があるということだ。それは、人間が時代性という束縛から解放されるとともに、鑑賞者は日常という束縛から解放される。この解放が次の時代をつくるのであれば、それは本望だ。