Archive for 2011.3

さすが、世の中で最も読まれている書物

2011.3.10

 「聖書」を読んだことはないが、人の話を聞いたり、引用などから得た知識からでは、良く出来ていると思った。

 無に興味が湧き、それを知ることが人生の第一となると、自ずから死以外にはありえないことに気付く。しかし、聖書曰く、自殺は罪であり、地獄行きだそうだ。ここでは、行き先がどこかは問題ではなく、「行く」ということが出来るということは「存在している」つまりは、「無」ではないということなのだ。「自殺をすれば「無」ではないよ」と書いているらしいのだが、「地獄行きだ」と言われるよりも痛烈に自殺を踏みとどまらせる効果がある。そして、無を求めて死んだ結果が、「有」であればその者にとっては地獄に来たようなものだろう。そういう意味で地獄行きと書いているわけではないのだろうが、かなりウィットのある書き手だ。

死んでいる人と死んでいない人の違い

2011.3.9

 本は常に何冊かを同時進行で読んでいるが、その1つ『パラドックス大全』に懐かしさを覚える。子どもの頃に疑問に思い、青年期あたりで答えに辿り着いた考え事が載っていて、「あぁ、あの問題は誰それが言っていたな」と先人の素晴らしさと人間の変わらなさ、そして、それを知らずに考え、自分の言葉として大発見をしたと喜んでいたら既に言われていることへの落胆など、様々な懐かしい情景を覚えるのだ。ある1つの考えから、また別の考えへと繋がっていく様子も合致していると、「あぁ、そんなもんなんだな」と諦めるしかないが、いかんせん僕はまだ死んではいない。正確に言うと、まだ考えることができ、それを人に伝える手段を持っている。

 仮に死んだとしても、無にならずに死んでいない状態と同じように考えることが出来たとしても、死んでいない人間にその考えは伝わっていない。それ故に、死について語っているのは全て死んでいない人間なのであり、未だに解けない謎として「死」が浮かび上がってくるのだ。

 そして、幸か不幸か、先人たちは既に死んでおり、たとえ考えることが出来ているとしても僕達にその考えを伝えることは出来ていない。なので、僕は、彼らの死後の言葉や考えを全く聞くことはなく、その先の謎や命題について考えることが出来るし、伝えることができるのだ。それさえも幸か不幸かはわからないが、先人と僕との決定的な差である。それを理解するだけで、僕は人生に彩りや豊かさをもたらすことができるし、故人に「ありがとう」と言える。

IKAROS

2011.3.6

「IKAROS」をアップしました。

http://www.maroon.dti.ne.jp/sdc/html/index.html

夢と現実の違い

2011.3.6

 細胞が刺激されて分泌液が発生し、重力に導かれるままに腔を這い進み、外の世界を見られると思ったのも束の間、けたたましい交響曲とともに天使の羽に包まれる…花粉症である。毎年、どこかのキャスターが「今年の花粉は例年以上…」と決まり文句を言っていたが気にせずにいたら、今年は酷い。

 そんな状態の中、三木さんの明るい部屋最後の個展へ。おそらく、いや、あの展示においては「絶対に」と確信が持てる程の素晴らしい時間帯で見ることが出来たので、普段から健気に頑張っている自分への藝術の神さまからのご褒美だと思うことにして、ちょっとにやけた。その後、会話も弾んだせいもあって、「そうではない時間帯」で会場を見渡してみると、やはりと思った。

 そういえば、藝術の神さまは女神ということを以前、聞いた。僕の性格上、藝術の神さまが男性だとしても「女性の方がいいよね」ということでそう思うのだろうが、歴史や神話を紐解けば、女神ということがわかってくる。それと、僕の夢では味覚と嗅覚が働かないということを最近になって気がついた。関係のないことを書き綴っているようにも思うだろうし、まだ確かなことは言えないが、主観とか宇宙とかではなくて、これらのことが巨大な何かによって繋がっているような気がしている。