Archive for 2011

穏やかな阿呆の日

2011.5.4

家事と並行して制作や作業で朝が終わり、資料も遅れながらも進む。先日、友人と呑んでいて「(作品の)アイデアが浮かばなくなったらどうするの?」と尋ねられ、「そしたら違うことをやればいいさ」と言ったが、あながち本当だ。作品を創作しているときというのは毎度「これが最後」と思って挑まなければ、消化不良に陥るし、挑む姿勢が問題点と次のアイデアを自分で見つけられる理由だろう。
今、手掛けている「with 10 years」「四季無常図」も「眠りの間にも魂は燃えている」も数年前の自分であれば創作することは出来なかった。藝術はデザインと違って「自分発信、他人仲介、自分帰結」であり、自分が問題点となり答えを見つけていくことを、やり続けることが出来るか、否か。そして、「自分=他人」ということがわかれば、その強度は増し、「他人=自分」を意識しない表面上の他人と会っていくことの方が消化不良に陥っていく。藝術家の孤独が増していくのはこういうときだが、原因はいつも阿呆らしい。

日々の中身

2011.5.3

日々が流れていく。その中には喜びも悲しみも含まれているが、無常にも日々は流れていく。それは夢も同じで、荘子の胡蝶の夢のように、夢の方が現実か、夢ではない方が現実か。融解していくのも日々の中。お前を守れなかった日、俺を守れなかった日、もう二度と会えない人…のはずが夢の現実では、その後に訪れることも知らずか起きずか他愛のない話をする。その後、夢ではない方の現実で後悔と無力さを思い出す。日を重ねるごとに強度が増していく。若さと異なるのは紛らわすことをしなくなったことだけだ。喜びも悲しみも積み重なっていく、それが日々。

週間「with 10 years」

2011.4.23

週間でアップしていくのもアリですね。
「with 10 years」

とてもプライベートな写真

2011.4.17

 「四季無常図」が落ち着いて、資料を書いているステージに入りながら、心身・環境ともに整理をしていると10年越えをしている品々がけっこうあることに気付き、あれよあれよと作品化した姿が見えた。朝の青白く頭の中をクリアにしてくれる寂光の中で、丁寧に撮りたいがために友人から一眼を借りて撮影。めちゃめちゃ格好良い作品。消え行く情景の光の中もいい。

 とりあえず1枚だけ先行して。

私は写真家

2011.4.16

白盤の方に書きました。