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性質+適性+努力=才能

2010.4.3

 以前から「才能」や「感性」という言葉を使うことを避けていた。それは今でもあまり変わらないが(一般の人々と話をする時には使った方が伝わりやすくなることもあるので、その時は使用している)、周りから「才能があるね」と讃えられる人がいたり、そう言われることが度々あるのは事実だ。

 しかし、人間を含め全ての事象には必ず性質があり、性質があるということは必ず適性(得意とする領域・分野)というのがある。周囲からそのように褒められている人というのは、単に自分の性質と仕事の適性(領域・分野)が合っているだけのことが多い。そして、努力を怠らないのである。つまり、性質100%(その人本人だから)+適性100%(合っている領域・分野なのだから)+努力100%の結果を、他者は見ているにすぎないのである。そして、「才能があるね」と言うだけの他者というのは、自分の性質を見極めること(努力)もしないし、それ故、適性が見つかるはずもないのである。

 つまり、私にだって苦手なことはあるし、性質と適性を合わせるという至極単純なこと(つじつまを合わせること)をすれば、周囲にも貢献できるし、自分自身にも有益にはたらくのである。逆に、つじつまが合っていないことをしていたり、その状態で進んでしまえば必ず悪い状況になっていくのである(生産性の低い仕事振りや悪い会社というのは大抵、つじつまが合っていないことが多い)。そして、性質というのは「好き」ということだけではなく、「嫌い」ということも全てひっくるめて「性質」になるのである。だからこそ、長所だけではなく、短所も含めて考える努力が大切なのだ。

 それをすれば必ず、君に合った適性は見つかるはずだよ。

 エグチマサル

続くもの

2010.4.1

 「愛している」は続いていく可能性が高い。ということは、「希望の光」も続いていく可能性が高くなり、そうなると「光学装置の記憶」も同じことが言える。それらは「死んでいる」がつくられるまでは私が創作する可能性が高いのだけれども、結局は1つの真理に到達されるので言葉であってもいいし、言葉すらない感覚でもいいのだ。それらは順を追って死ぬまで続けられる。

 このことを「楽しそうだなぁ」と思うのか、生き地獄と思うのかは私(君)次第というのも、感覚というのがひどく個人的なものだと感心する。

 しかし、この個人的でしかない感覚を紐解いていくと、普遍的な事柄に行き着くので感嘆する。