Archive for 2009.7

普遍性

2009.7.14

午前中に企画原案(今度の個展のじゃないよ)を書き、その後、1枚1枚のタイトル決め・・・なのだが、案の定、なかなか進まない。自分の語彙力の低さに呆れながらも、辞書、辞典、パソコン、資料集、参考書などから、雰囲気の先に生まれる確かな道を見つけていく。そんな中で先日、友人に貸してもらった『カラーインスピレーション』(講談社、1992)は読み物としても非常に面白い。ある事物などに係わる色名と色見本、印象、その事物にまつわる小ネタのような文章がセットになって載っているのだが、この文章が趣深くてついつい読み進めてしまう。また、色の選び方も藝術の題材にでてきそうなものばかりで、知っているのと知らないのとでは、深さが異なるだろう。たとえば、サタンには「サタンズ・スパーク」という色があったり、カントのような哲学者たちにも色があるというのは美術家にとっては興味深い。そして、この本を読む前からつけていたタイトルのニュアンスが外れていなかったことが若干、嬉しくもあり、何でもそうだが「鵜呑み」は恐いよねと戒める。

その流れで隠語についても調べていると、西欧と日本が繋がってきたりもし、当たり前のように差異性や個人性が謳われている現代であるが、その中身を突き詰めていくとやはり普遍的なものに繋がってくるのではないだろうか。

the gun targets my brain .

2009.7.10

誰にでも悪魔の囁きというのは聴こえるのだろう。

「他のやつらのようなお湯に浸かれよ」、「それが限界だ」、「不毛だ」、「貴様のための犬死にがどれだけいるんだろうねぇ」などなどそれら悪魔の囁きは後を絶えない。そして無意識に発せられた「うるせぇよ」の声で我に返ったときに身震いする。

悪魔の囁きは自分の声でもあったと。

何年そんなことをやってるのだろうか。

限界は、自分の足で超えるもんだろうよ。

ピアノ

2009.7.8

ピアノの音。

結局、ピアノの音に還っているような感覚を持つ。
物心ついたときから家にはピアノがあり、当たり前のように習わされてしまいその流れが嫌で小学校卒業までには辞めていたが、ふとピアノの音が聴こえてくると心が静かになる。

右利きにもかかわらず、けっこう左手が使えるのはこのお蔭かもしれないが、流石に今ピアノは弾けないよなー。
左打ちだし、左足の方がボールが扱えるが、眼は両利き。
完全な右利きってどこだろうか。
ガス抜きも兼ねて、習い弾きにいこうかなぁ。

イカロスの歌

2009.7.6

「本当に作品のためになっているのか?」

こんな種類の悩みは尽きません。

最近思い出すことに「イカロスの歌」がある。
ここに書くためにそのタイトルを調べてみると、「勇気一つを友にして」というタイトルだったらしい。
ギリシャ神話をもとにしていて、その中ではけっこうひどい戒めの内容としてあるらしい。
けれども、彼のことを僕が初めて知ったのは「勇気一つを友にして」だったので、そちらのイカロスで話を進めていく。

結論からいうと、小学校低学年のときでもイカロスの姿勢に共感や理想とするものを感じていた。
たとえ堕ちることがわかっていたとしても、そして端から見ればただの自殺行為にしか見えなくとも、太陽を目指すという信念を通している姿勢が素晴らしいと思っていた。
それは今でも変わらない。

そんなことを思い出すっていうことは、不純なものが溢れている反動か、はたまた、自己の純度が増しすぎているのか・・・。

だいたい答えはわかっているが。

The day to ・・・

2009.7.4

やはり最近、身体の調子が芳しくない。

悪い状態、風邪とか怪我とかイボっぽいものとか・・・重なるときっていうのは重なりまくるもので、よろしくない。

そんな中、ついに自転車も壊れたのだけれども、そしたら、マンションの管理人さんから中古の折畳み自転車を頂きました。
錆がひどかったのでタオル(雑巾?)とオイルを借り、後ろに籠がついていたのでドライバーを借り、空気が入っていなかったので空気入れを借り、復活しました。しかも持ち主の方が買ってからあまり乗っていなかったとのことで、タイヤが擦り減っていない。早速、おにゅー自転車に乗ったら、小さい自転車に乗るのは人生初のことなので、こいでもこいでも進んでいないような気持ちになってしまったのだけれども、その進まなさがなんだか面白くなってしまい、そのまま買出しに出かけました。しかも、タイヤが小さいと坂道が楽なんですね、このまま地元に帰りたくもなりました。
とても感謝感激でございます。

どんな状態なんだか。