センスとか、信用とか。

2019.12.13ビジネスの健康, 心の健康, 日々のこと

こういうことをつぶやきました。
 

「センス」とか「粋」とか「信用できる」とか「有能」とか「いい人」とか「おもろい」とか「頭がいい」とか「質がいい」とかって、全部同じことを違う言葉で言っているだけだよな。逆もまた然り。

 
昨日は「大手の中心にいる人たちは、失礼なくだらない振る舞いによって、会社の利益を損なうことをしない」というようなことを書いたけれど、このつぶやきも同じだ。
大手の中心にいる人たちと仕事をすると、「この人センスないな」とは思わないし、「野暮だなー」とも、「この人は裏があるなー」とも、思わないんですよね。
そして、ちゃんと「質がいい商品」を作ろうとしているんですよね。
中核事業から離れれば離れるほど、この逆になっていきます。
 
今、大手の人たちを例に挙げているのは、比較がしやすいだけなので、中小企業だろうと零細企業だろうと同じです。
「信用できるなー」という人は、だいたい野暮なことはしないもんです。
そして、「センスがいい」ということを、ちゃんと察知する力を持っているんですよね。
これは、先日まで読んでいたデンマークの本で確信しましたが、そうやって育ってきたってことなんです。
センスがいいものに囲まれて育ったり、粋な大人に育ててもらったり、信頼できる人に育てたもらったり、質がいいものに囲まれて育ったりすることで、積み重ねてきたものなんです。
 
エントロピー的に言えば、人間は素晴らしい生き物じゃないんだから、素晴らしいものや人と関わりを持っていないと、悪い奴になっちゃうんですよね。
いい景色を見たり、おいしいものを食べたり、やさしい人とおしゃべりしたり、美しい作品を観たり、感動する映画を観たり、感動する本や漫画を読んだり、おもしろいゲームをしたり、笑っちゃう話を聞いたり、心地よい音楽を聴いたり、熱中する趣味に没頭したり、いろんなことがぼくらのセンスを育てるのです。
だからね、忙しいっていうのは、嫌な奴になっていくことでもあるんだよ。
余白を作るのが、大事なんだ。

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