特殊で終らせていいの?

2013.1.17日々のこと

「お前は特殊すぎるんだよ」と言われる。
 
アーティストに対する偏見もあるだろうが、作品をつくることに懸ければ懸けるほど、市井で必要とされる能力が欠落していなければならないとする風潮がある。政治やお国のことは、本当はどうでもいいことと思っているのは確かだが、「コストとメリット」を「労力、時間、経費、感情」の点から考えることをするのは、何かに懸ければ懸けるほど出来るようになるんじゃないだろうか(使用する言葉は違えど)。その力を「特殊」とされてしまうのは、偏見が強過ぎるか、懸ける力が弱いから出来ないと思ってしまう。
 
ダ・ヴィンチ、モーツァルト、ピカソ、ゴッホ、クレー、ブルトン、デュシャン、タルボット、マン・レイ、宗達、永徳など数え切れないほどの人達にもその力があったことは、記録を読めばわかる。
 
それに、ヘンリー・ダーガーでさえ、論理があったし、人の立ち場に自分をおいて感じてみる能力があっただろうよ。
 
不感症すぎやしませんか? それとも、やっぱり俺が特殊なんですかね?

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