(自分の)体
2013.1.10日々のこと勝負をする土俵や相手が変わってきている。「比重が変わってきている」と言った方が適切かもしれない。昔も、自分や作品、天や地などといったものが勝負の相手や土俵に含まれていたが、世界だとか、人の声だとかが含まれる比重が、もうちょっと大きかったような気がする。今はそれらが無くなったかと言われたら、100パーセント無いとは言えないだろうが、「どうでもいい」と言うからには、100パーセントなのかもしれない。
ここでも話したが、車に挑んだり、体が震えたり、足が血で赤くなるまで運動したりというのは、「写真家であるために」という領域からは離れているのかもしれず、ただ単純に、命がヒリヒリすることを求めているだけかもしれない。
天があって、地があって、俺がいて、作品がある。
そうであるならば、作品は俺であり、既に俺は作品であり、天地に含まれる俺達は既に天地と一つであったと。この命が燃える感覚、あのヒリヒリした感覚だけが、俺を「生きている」と感じさせてくれていたが、体によって黒い靄が俺を支配するのなら、体を手放した方が断然いい。