「調子に乗る」ということ

2013.1.6日々のこと

「調子に乗る」という言葉は大抵、悪い意味で使われるけれど、僕はこの言葉がわりかし好きだ。「調子に乗る」ということをするためには、前提として他人がいなくてはならない。「俺、調子に乗っているな」と思った場合でも、他人がいる現場を想像しているはずだ。そうして、「あいつは調子に乗っているから痛めつけてやろう」だとかっていうときに使われる言葉だが、「調子に乗る」ためには、周りにいる人達のことをみていないか、信じきっていなければ出来ない行いのはずだ。
 
今の時代、誰かの目を気にすることが多いと聞こえる。そして、そのことで話したいことを我慢する人達もいるようだ。他人の目を気にするのとはちょっと違うが、僕だって「●●さんは、何を幸せとするんだろう?」とか、「▲▲くんは、何をやりたいんだろう?」などと考えることがある。けれども、僕の場合は、話したことで始まったり、わかったりすることがあることを知っているし、話さなきゃ始まらないことがあることも知っている。それは、話し相手のことをわからずとも、信じるしかないと思っているから出来ることなのかもしれない。そして、「あいつは調子に乗っている」と説教をいただいたとしても、「まぁいっか」と聞き流すことの方が多い。
 
それもこれも、話さないことを選んで、信じることが出来なくなることの方が、僕は恐ろしいことのように思えるからだろうね。「調子に乗る」っていうのも、悪いことだらけじゃあないってことだ。

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