選ぶのは試されること。

2019.12.17ビジネスの健康, 日々のこと

選択肢があってその中から選ぶとき、選ぶ方が試されているときというのは、けっこうあります。
選んでいるのは自分なのだから、自分の方が優位に立っているように思えるけれど、選んだもので自分の考えのレベルや器が、計られるようなときです。
 
ぼくがこれを意識したのは、『ドラゴンクエストV』というゲームです。
劇中、主人公の結婚相手を選ぶのですが、一人は幼馴染、もう一人は富豪の娘。
曖昧な記憶を思い出すと、たしか、富豪の娘さんを選ぶと、お金や装備品がもらえるのですが、その娘は最後まで旅に参加しなかったり、子どもたちの髪の毛の色が青くなるんです。
けれど、広告などで使用される子どもたちの髪の毛の色は金色で、これは幼馴染を結婚相手に選んだときの色です。
そして、幼馴染は最後まで旅に参加し、結婚後の旅はけっこう長い。
最後のレベル上げや、隠しダンジョンも含めると、本当に一生の長さになります。
だから、初めは幼馴染を選んじゃって、二度目をやるときに富豪の娘さんを選びます。
これが、ぼくの中で初めて「選択で自分が試されるのを意識したとき」じゃないだろうか。
 
二度目の「選択」を強く意識したときは、浪人時代です。
この時に教えてもらったことが、今でも頭に残っていますし、今日の話の大元になっています。
現代語の授業で、大学受験の採点方法を教えてもらったんです。
その先生によると、すべての問題は独立してあるのではなく、一連の問題がすべて正解しないと、内容を理解していないとみなされ、一連の解答が不正解となる、とのことでした。
例えば、「問4」「問6」「問8」の三つが関連している問題の場合、その三問はすべて正解しないと点数が得られず、すべて不正解になるということです。
愕然としました。
けれど、これは新大陸を見つけたかのような、大きな発見でした。
その先生の言ったことが、実際に大学受験の採点方式で、使われているかどうかはさておき、問題を提示する側からしたら、あてずっぽうで正解する確率は下げたいものです。
さらに、受験者数から合格者を振るいにかけるためには、合格者と不合格者の点差が離れている方が、本来なら必要な人材を不合格にしにくくなる。
つまり、あのときの予備校講師が話してくれたことは、極めて妥当なことです。
事実、ぼくはこの先生の授業を受けた後、国語の模試は全問正解や一問間違いが頻発し、偏差値をぐんぐん上げたのでした。
 
ぼくの仕事は、依頼人に選択肢を与えることが多いのですが、ただ選択肢を出すのではなく、どれを選ぶのかで、その人のことや、今後のことなど、たくさんのことを計っています。
ま、その内容は言わないですけどね。
言えることがあるとすれば、どれを選んでもいいと高みにいると、多くのものを失うんだろうね。

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