小学校のような大人のクラス。

2019.12.2おすすめ, 心の健康, 日々のこと

昨日の続きになってしまうけれど、「励まし」って、いくつになっても嬉しいものだと知りました。
「年齢を重ねると叱られなくなる」とはよく言われるけれど、励ましてもらうこともなくなります。
「君ならできるよ」と若手を励ますことはあっても、ぼく自身が言われたことは、記憶にはないです。
だから、自分で自分に向かって言うんですけど。
 
けれど、英語の授業を通して、先生はぼくらを励まし続けてくれました。
発音とか、理解力とか、ことあるごとに改善されていると褒めてくれて、そして、最後の授業ではどんどんチャレンジしなさいと。
実際に、期間中にドイツに行って、過去に海外に行っていたときよりも、ビビらなかったし、会話ができていました。
大事なのは、ちょっとのことだったのです。
もちろん、今も色々間違えてしまいますが、それでも、誰もいない部屋で自主的に英語の勉強をしているのだから、先生が励ましてくれたことは影響が大きいです。
コースが終了して、「ロス」を感じながら考えていたのが、励ましって嬉しいものだよな、ということ。
 
あとは、小学校のクラスに近いものがあったんですよね。
全員わからない言語(英語)を、言葉として覚えていく。
ひとりがわからなければ、みんなで助ける。
徐々に打ち解けていって、仲良くなっていく。
違うのは、最後の授業で、ぼくらはバラバラになること。
もしかしたら、次のコースで会うかもしれないけれど、それはわからない。
 
その出会いは、小学校時代のクラスメイトを思い出しました。
この英語のクラスは常に協力し合う、とても雰囲気のいいクラスでした。
 
普段の仕事で出会う人たちとも協力します。
けれど、その協力には、「利益を上げる」というたった一つの目的があるんですよね。
「自分のため」とか「社会貢献のため」とか様々な目的が集まると、仕事でのチームというのはうまく機能しません。
目的が違うと、協業した後の理想の世界の姿が違うから、協力ではなく、利用に近くなってしまうのです。
だから、「その事業の利益を上げる」という共通の目的を持つ必要があります。
 
でも、クラスに集まった人たちには、様々な目的がありました。
みんな職種も違うし、年齢もバラバラ、もう現役を引退している人だっている。
それにも関わらず、不慣れな言語を相手に、みんなで協力して、助けたり、助けられたり、笑ったり、失敗して「てへぺろ」のような雰囲気になるんです。
その中心に、みんなを励まし、勇気づけてくれる先生がいます。
 
人を助けることも、助けられることも経験しながら、励まされて、言葉を覚えていく。
乳幼児とも違う、思春期とも違う、会社のようにマウントも必要ない、小学生のような大人たちが英語を学んだのです。
バラバラになるのはちょっと切ないけれど、ここでの経験は、ぼくにとって、大きなものです。

Comments are closed.