ドイツと似ていた。

2019.11.14心の健康, 日々のこと

まだ続くドイツネタですが、帰国しながら考えていたことがあります。
「ドイツの人たちって、何かと似ている」
帰ってきて、数日立って気づきました。
「あ!俺じゃん!」
なんとも間抜けな気づきですが、「合理的」「他者に期待しない」「緩急をつけて過ごす」「教養好き」「過剰なおまけをしない」「無駄が嫌い」「見てくれを気にしない」「思想としてのエコロジー」「費用対効果を考える」。
 
生産性を上げながら、エコロジカルに生きることは可能だ。
稼ぎが減ったとしても、無駄な物は作らない。
礼節を失わないためにも、教養は好きだ。
他者に期待したら憤慨するだけなので、何も期待しない。
自分でやった方が合理的だから、自分で行う。
 
これらはぼくの思想のような、生き方のようなものです。
特にこの一、二年ほどはこの傾向が顕著な気がしています。
 
ちょっと誤解を与えそうなのが、「期待しない」ということでしょうか。
信じているけれど、期待しない、ということです。
たとえば、他人に対して、できないことを依頼したりなどはしません。
その人が「本当にできない」と言うことは信じています。
その人が「できる」と言うことも信じています。
けれど、「できる」と言ったからといって、「満足を超える仕上がりになる」とは期待していないのです。
そんなこと、生まれて一度も経験していません。
さらにもっと言えば、「その人ができなくなる」可能性も考えています。
たとえば、その人が事故に遭遇して、死んじゃうかもしれませんし。
ま、それは可能性として低いでしょうが、インフルエンザに罹ったりして、仕事ができなくなるかもしれません。
 
こうやって書いていると冷たい人と思われそうですが、その代わり、仮にできなくなっても、ぼくは怒らないんです。
「いつになったらできる?」もしくは「別の人に依頼した方がいい?」という質問をして、次の行動に移っていきます。
ぼくがやった方が合理的なら、そうしますし。
こういうスタンスでいると、相手も気兼ねなく休めるでしょう。
そして、こういうスタンスで生きてきたから、ぼくは色んなことができるようになりました。
それも、ドイツ人っぽいところだったんです。
 
こういう風に考えていると、けっこう親近感を持っちゃうものですね。
やっぱり、暖かくなったらまた行ってみたいな。

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