哲学というもの。

2019.11.13心の健康, 日々のこと

哲学ってあるでしょう。
生きる上での哲学や、仕事をする上での哲学とか。
ぼくの至った結論というのがひとつあり、それは「哲学がほとんど重ならない人とは、距離をとるのが一番」です。
 
たとえば、「話さなきゃわからない」ということがあります。
けれど、話しても解決しないことはあります。
話した結果、答えが出ないことや「しようがないよね」ということだってあります。
ぼくはこの考えの持ち主です。
 
一方で、世の中には「話せば解決する」と信じている人もいます。
いわゆる「議論好き」と呼ばれる人です。
残念ながら、こういう哲学の人とは、ぼくは一緒にはいれないです。
話好きな人は好きですが、議論をすれば解決すると信じている人と議論をして、解決策を出しても、うまいことにはならないんです。
たいてい、気持ち悪さの残る失敗をする。
失敗をする解答を導き出し続ける。
 
こうならないように、ぼくは「議論」ではなく、「話し合い」という言葉を選んでいます。
そして、「話さなきゃわからないけれど、話しても解決できないことはある。でも話さなきゃ何もわからないから話す」ということを前提に、話を始めています。
ぼくは、こういう哲学を持っている人ということになり、一緒にいる時間が長くなったり、多くなったりする人とは、こういうことの重なりが多い人の方が、話は弾むものです。
活発な議論ではなく、話が発展することを望んでいるからです。
 
これらは同じなようで、まったく違うんです。
これは「日本人は議論が苦手」ということとは違って、会話をする上での心構えなんです。
問題解決の話し合いだろうが、雑談だろうが、会話をする相手とどういう話をしたいか。
どうやって楽しんで、どうやって楽しませて、ということです。
雑談だと元気になるけれど、問題解決だと元気がなくなるのとも違う。
どちらも同じテンションで、話をしようと心がけています。
雑談で真面目なトーンのときもあるし、問題解決でふざけているときもあります。
こういうことも含めて、その人の哲学が滲み出てしまうものです。
 
善いとか悪いとかじゃなくて、この考え方の違いが哲学と呼ばれるものです。

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