慣れること。

2019.10.10日々のこと

「死に慣れる」と言ったら不謹慎に思われるかもしれないが、人生を積み重ねるのは、これと同義でもある。
物語の死、遠い生き物の死、遠い人の死、知人の死、友人の死、仲のいい友人の死、ペットの死、親族の死、家族の死、恋人の死、配偶者の死、子どもの死、孫の死……歳を重ねるにつれて、死にまつわることを経験することは増える。
すべて他人の死だけれども、そのどれにおいても、自分のポジションは違うわけで、だから、すべての死にまつわる体験は、初体験なのだ。
 
日本語では、死を経験した他人との関係を、「別れ」という言葉で表現する。
だから、死に慣れるというのは、お別れに慣れるということでもある。
スピリチュアルに、死んだ人と想像上で会えることもあるが、それでもこの地上では「別れ」ている。
だから、死に上手な人は、生きている内も、別れ上手なような気がしている。
また、どこかで会えるような。
会ったら、気持ちよく再会できるような、そんな別れ方をしてくれる。
それが、「別れ慣れている」ことでもある。
どこかを辞めるとき、誰かと別れるとき、離れ離れになるとき、そのすべてを上手くやれとは言わないが、いつか来る日への予行練習でもあるんだ。

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