映画『JOKER』を観た。

2019.10.8おすすめ, 日々のこと

タイミングだ。
誰と出会うか、誰と遭遇するか。
そのときに、何をするか、何をされるか。
すべてはタイミングが重なって、次のタイミングがまた起こる。
 

代弁者だった。
弱き者の代弁者だった。
この映画が高い評価を受けるのは、クオリティもさることながら、現代にはそれほどまでに弱者が多いということだ。
 

上記の二つは、映画『JOKER』を観た直後の感想だ。
冴えない境遇に生まれ育ち、困難が重なり続ける状況でも、人々から賞賛されることがある。
それがたとえ犯罪だとしても、自分が他人に影響を及ぼせる環境があれば、そこへ身を持っていくのは自然のことだ。
ましてや、代弁者となれるステージがあるのなら。
今年の夏に芸能事務所の契約問題のときに、ワイドショーに出演している人々が、強い口調で断罪していたのも、同じ現象だろう。
違ったのは、映画の中で、断罪の手を下したのが、不遇な弱者当人だったことだ。 
ぼくらが、この映画に共感を覚えたり、評価を与えたりするのは、自分にも重なる部分があるからだろう。
自らの足で這い上がれない環境にいた者にとっては、この映画の主人公の姿は、もしかしたら自分もこうなっていたかもしれないという、もう一人の自分の姿を見たのではないだろうか。
少なくとも、ぼくは想像した。
 
題材は異なるが、『チョコレートドーナツ』という映画を思い出した。
結末は違うけれど、社会的な弱き者達の映画だ。
違うのは、ジョーカーは、自分が活きる術(ジョーク)を身につけたこと。
だから、ラストシーンのジョーカーは、もう、ぼくらの知っている、強さを持ったヴィラン(敵役)になっていた。
そういう意味では、誕生の物語というよりかは、成長の物語なのだ。

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