ふざけた要素。パート2。
2019.6.26ビジネスの健康, 心の健康, 日々のこと昨日に引き続き、ふざけること(ユーモア)についてです。
思えば、ぼくはこの「ふざけること」について、事あるごとに考えています。
特に、「笑いになるおふざけ」と「笑いにならないおふざけ」の線引きについて、考えているような気がしています。
例えば、学生時代の教科書に載っている偉人の写真への落書き。
やったことがある人も、やったことがない人もいるでしょうが、やったことがある人って、そのまま誰にも見せずに自分だけの楽しみで我慢できない気がしています。
誰かに見せちゃうまでを含めて、落書きってあるような。
誰にも見せずに漫画を描き続けることはあるでしょうが、漫画を描くってかなり真面目にやっているでしょう。
ぼくも昔、いろいろ描いていました。
ただ、漫画を描いて見せたときの「おもしろい!」と言われるのと、教科書の落書きを見せて「ブハッ!」と笑わせるときの、笑いの性質ってちょっと違うんです。
ビジネスの現場での「おふざけ(ユーモア)」って、どっちの性質も混ざっていないと、高尚な芸事や、単なるバカに映るんです。
先日、海外の缶ビールのコマーシャルを見ていると、環境に配慮した缶を売りにした内容にふざけた要素が混ざっていて、「やられた」と思いました。
日本だとクレームが来ちゃいそうですが、どこまでスルーしていいかもあると思うんですよね。
以前、ぼくも好きだった「ヨルタモリ」というテレビ番組についての制作話を読んでいたとき、最近のテレビ番組で多い注釈文をいっさい入れないで作っていたけれど、まったくクレームは来なかった、と書いていました。
「ユーモアが大事」とどれだけ唱えられていても、ユーモアを発揮しているようなものと全然遭遇しないのは、作り手もクライアントも、どこかでビビっているというのはあるんでしょうね。
そういうぼくはどうなんだろう、と考えてみたりしながら、今日も「おふざけ」をどこかに混ぜたいと狙っています。