バリ島ウブドで学んだこと。パート5。

2019.4.13心の健康, 日々のこと

金曜日は、毎月恒例の根津神社へのお参りに行っていました。
そうしたら、毎年恒例のつつじ祭りが開催されていて、ちょっと早い気もするけれど、つつじが綺麗に咲いていました。
 
「毎月お参りに行く」ということも、信仰の表れでしょう。
「歴史を引き受ける」という姿勢のもと、仕事をしているのも、一種の信仰でしょう。
歴史上の先達に見られている感覚があるというのも、信仰と言えるでしょう。
人はそれを「神」とか「もう一人の自分」とも言いますが、これと同じです。
こういう人は、同じように信仰を持っているんだと思います。
 
ひとつ気をつけたいのが、「信仰を持っている」から特段に優れているわけではないということです。
バリでガイドをしてくれたアディさんが、いいことを話してくれましたが、彼らがバリの占いを信じるのは、バリの占い師を信じているから。
毎朝、お供え物をするのも、習慣としてやらないことの方が気持ちが悪いから。
悪魔が悪さをしないようにお供え物をする、ということが染み込んでいて、やらないことの方が気持ち悪くなるから、毎朝お供え物をする。
信仰というのは特殊なことではなく、ほとんど習慣に近いようなことで、信じないことの方が、自分にとって都合が悪いから信じているようなことです。
だから、そうじゃない人が、バリの占いを受けても意味がない、とアディさんは言っていました。
 
これ、本当に「信仰」について的を得た話だなぁ、としみじみ思います。
 
ぼくが仕事で感じている先達の気配も、他の人たちに強要したことはないです。
違うスタンスの人も、もちろんいていいでしょう。
 
信仰とは、特定の宗教に入ることとは違うんだろうな。
バリで毎朝お供え物をしている姿を見かけて、「いいな」と感じるのも、ぼくがバリの信仰を持っていないからなんでしょうね。
これは、ひとつ発見したな。
自分は仕方がなくやってしまったり、感じてしまったりすることを、人はちょっと「いいな」と感じてしまう。
こうやって世界を観察してみると、「あの人の信仰」ということが、わかるような気がします。

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