選べない気候。

2019.4.11日々のこと

先週は30度の気温で過ごしていたのに、水曜日は7度。
つま先の痛みを感じながら布団から出たり、傘を持つ手がかじかみながら歩いたりしていると、ひとつのことに気がついた。
 
「人は気候のなかで生きている」
 
ひどく当たり前なことだが、ぼくらは生きる気候を選べない。
渡航先を選ぶことで、気候を選んでいるつもりになったとしても、的外れになることもあれば、室内の気候(空調)で真夏でもジャケットが必要になることだってある。
そして、水曜日の寒さで、ぼくはいつも通り、イラついていることにも気づいていた。
寒さは、寒い以外に、余分なことを心配させる。
体を炒めるかもしれない。
食いしばりから肩が凝る。
傘を持つから荷物が増える。
室内に入ったら、コートを脱がないと暑いが、コートは荷物になる。
Tシャツに短パンだった先週とは打って変わって、思考も荷物も増えている。
寒さが直接嫌なのではなく、こういった余分なものが増えるのが嫌いだったのだ。
繊細な人ももちろんいるとは思うが、「暑い地域の人がおおらか」と思われる理由もわかる。
先週の自分が、そうだった。

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