単純な理由

2010.1.6日々のこと

 数年前には考えてもいなかったが、今では大判出力をするのが当たり前となっている。作品も1億ピクセルを超えるのは当たり前。1ピクセルを1人と考えると、「この1枚に日本人の人口ほどが密集しているんだなぁ」としみじみ思う。

 また、デジタルと言ったとしても、出力の度にちょいちょい手を加えるので、結局一点ものになってしまっているし、大判プリンターの稼動姿を見ていると一列一列少しずつプリントされているので、全てがアナログに思えてくる。

 そして、出力が終ったプリントを目の前にすると、全ての通俗的な事柄が頭から消えてなくなるし、視覚だけではなく全ての感覚が目の前の1枚に持っていかれる。これは、先日の姪と会っていた時や、圧倒的な自然と対峙した時に抱く感覚と一致する。ミメーシスによる制作ではなく、創造しようとしてつくられた作品がそのような性質を持ってくれるのはとても嬉しいし、藝術をやる理由が、純粋にそこにあるのだろうなと深々と思う。

 「やっぱり、作品は創るのも観るのも楽しいね」って思った。

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