一人で考えて、一人で作って。

2019.3.23日々のこと

イチロー選手の引退会見を読んでいて、「最後までイチロー選手なんだな」というのと、ぼくらの気持ちをさえも代弁してくれているような心地になった。
正確な言い方は違うと思うが、「達成感や満足感と、楽しいのとは違う。」というようなことが書かれていて、畏れ多くも今の自分と重ねてしまった。
ぼくもイチロー選手のように、熱中するものを見つけて、その業界に入ってプロになった。
その後、12年が経って、この間、たくさんの達成感や満足感を得てきたけれど、楽しかったのは、2007年までだったと気づいた。
いや、気づいていたけれど、どこかにまだ楽しむ余地があるんじゃないかと、もがいていたんだ。
ぼくらの仕事はスポーツ選手に例えられることも多く、ぼくらもずぅっと現役でいることは難しい。
50歳を超えて現役バリバリのように見えるのは、そうやって見せるのが上手い人だったりする。
正確には、一人で考えて、一人で作ることは、肉体の衰えとともに難しくなる。
これを「チームで」とか「別の役割がある」とか言って、ごまかしながら続けているだけだ。
そうじゃなくても、作るものに古さが臭いはじめる。
三十代後半のぼくでさえ、衰えを考慮しながら、どうやって成長し、どうやって貢献できるかを試行錯誤しながら現役選手を続けている。
これは、プロになった当初から試行錯誤している。
右手が動かなくなった時、腰が動かなくなった時、いろいろやっている。
イチロー選手が「監督はない。人望がない。」と仰っていたけれど、ぼくが人を雇わないのもそうだ。
外で教える分には構わないけれど、自分の従業員となるのは、絶対にやめた方がいいと思っている。
今は、プレイングマネージャーのように振舞っているけれど、そうあれるのも、ぼくが現役選手だからだ。
一人で考えて、一人で作るからできること。
あと何年できるだろうか。
イチロー選手の存在は、同時代を生きている人の中でとても影響が大きかったし、これからも大きいんだろうな。
ありがとうございました、と言いたい。

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